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連載・特集

歳月の重み 東日本大震災から5年 <上> 決断 家族離れ離れに終止符

 東日本大震災から11日で5年がたつ。福島第1原発事故を機に住み慣れた家を離れた家族がいる。被爆地広島の経験を基に被災者の心情を記録する人がいる。そして、支援活動を続ける意味を再確認した若者たち…。過ぎゆく時の重みを感じつつ、広島から東北に思いを寄せる人々を追った。

 震災発生の8日後、福島県郡山市で暮らしていた井上真理恵さん(41)は、母子4人で夫の古里の広島市西区へ移住した。当時、妊娠8カ月。原発事故による放射線の影響を懸念しての行動だった。あれから5年たつこの春。夫泰正さん(42)が1人残る郡山市の自宅へ戻る決意を固めた。

「広島にいたい」

 泰正さんは郡山市の金融機関に勤め、一家の生計を守ってきた。月1回は広島へ通い、子どもをいとおしんだ。心まで離れ離れにならないように。「でも、もう限界」。昨年秋、夫の言葉を真理恵さんは重く受け止めた。広島で出産した次女和香ちゃんはこの春、5歳になる。

 家族6人の別居が長くなり、福島へ帰るのを考えたのは初めてではない。広島での生活が3年に及んだ頃、当時小学4年生だった長男泰一(たいち)君(12)に投げ掛けると「卒業まで広島にいたい」と涙をこぼして訴えた。

 泰一君が通う己斐東小は1学年1学級の小規模校。プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの帽子をかぶった転校生を優しく迎え入れてくれた。「温かくて濃い付き合いをしてもらえた」と真理恵さん。ソフトボールチームで仲間が増え、6年生になった泰一君は今やカープファンだ。

経済的負担重く

 ただ、二重生活の経済的負担は重い。家族が一緒に暮らしていた震災前に比べ、少なくとも年100万円は支出が増えた。貯金を取り崩して暮らし、底を突きそうに。子どもの成長とともに学費は一層膨らみそうだ。

 夫は広島での転職も考えた。だが、福島県いわき市で暮らす真理恵さんの実父に「子ども4人を養えるのか」と戒められ、不安も募った。広島での生活になじんだが、そろそろ定住の地を決めないと、子どもの心も落ち着かないだろう。でも放射線への不安が消えたわけではない。

 悩み抜く両親に泰一君は言った。「お父さんとお母さんの決めた通りでいいよ」。真理恵さんは「この5年で、いつの間にか大人になっていたんですね」。昨年末、離れ離れの生活に終止符を打つことを決心した。

 広島で過ごすのも残り1カ月を切った。泰一君は友との別れの寂しさをこらえるように、ソフトボールに没頭する。幼い3人のきょうだいは父親との暮らしを無邪気に待ちわびる。

 「以前のように明るく楽しく暮らしたい。家族6人で」。真理恵さんは当面、広島と福島を行き来して生活環境を整える。(奥田美奈子)

(2016年3月9日朝刊掲載)

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