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連載・特集

歳月の重み 東日本大震災から5年 <中> 心重ねて

「無念」映画化 広島と絆

 目に涙をためた消防団員が、たき火を囲む。「おらたちのこの気持ち、誰に向ければいいんだ。がれきの中で、助けてくれると信じながら死んでいったもんの思い。誰に向ければいいんだ」。福島市で5日上映されたアニメ映画の一場面。このせりふを吹き込んだ同市の看板業高野仁久(きみひさ)さん(54)は、じっと目を閉じた。

体験を聞き脚本

 アニメのタイトルは「無念」。東日本大震災の発生直後から福島県内の被災地に通い、地元の民話や被災住民のやりきれない思いを題材に紙芝居を作ってきた広島市職員福本英伸さん(59)=廿日市市=が作画と脚本を引き受けた。福島第1原発事故の影響で全町避難を経験した福島県浪江町の消防団員だった高野さんは昨年7月、福本さんに震災当時の体験を語った。

 生存者がいるのに、放射線に阻まれて近づけなかった。高野さんは「助けに行くぞと約束したのに、行けなかった。今も申し訳なく思っている」と明かす。

 映画で描く浪江町民の「無念」は現在進行形だ。高速道のサービスエリアで福島産の野菜がごみ箱に捨てられていた場面。浪江町から福島市に避難した農業石井絹江さん(64)が「福島応援」と銘打った物産市に出展した帰りに見た光景だった。

 石井さんは避難先で約1ヘクタールの農地を買い、一昨年から農業を再開した。「厳重に放射線量を検査した農産物でも、いまだに『危ない』と言われる。以前のように喜んで食べてはもらえない」と嘆く。

 「原爆を経験した広島の人間だから、福島の人は心を開いて話してくれた。語りたくない、目を背けたい庶民の心情を映像作品として残したかった」と福本さん。被爆後の焦土を生き抜いた広島の人々を描く紙芝居を数多く手掛けてきた。福本さんの気持ちをくんだのも浪江町の人たちだった。避難先で仮設住宅の自治会長だった小沢是寛(よしひろ)さん(70)=福島県相馬市=が代表を務める「浪江まち物語つたえ隊」が福島県から補助金を得て、制作を後押しした。

「糸は切らない」

 福島市近郊の仮設住宅で2014年11月まで暮らした小沢さん。放射線の影響を懸念して宮城県へ移住した次女夫婦が残した家に妻と暮らす。「家族が引き裂かれ、負債が残り、生きることがつらくなる人もいる。震災から5年たっても今の心境は『無念』の一言。その気持ちを分かってもらえた」と話す。

 上映会場は拍手に包まれ、涙を拭う人もいた。終演し、小沢さんは約70人の観客に言い切った。「広島の人たちが福島との糸を切らない限り、私たちから糸を切るつもりはない」(石川昌義)

(2016年3月10日朝刊掲載)

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