いま、思う 東日本大震災から5年 <上> 自営業・染川篤志さん=山口県周防大島町
16年3月10日
変わるべきは私たち 生活触れ「先入観一変」
東京電力福島第1原発から20キロ圏内の福島県南相馬市小高区。ボランティアとして民家のがれき除去などを手伝った周防大島町西安下庄の染川篤志さん(53)は、小動物に荒らされた家の中で家具や写真を「ごみ」として捨てた。
放射性物質を除くため、植木は全て切り倒した。その様子をじっと見守る住人の姿に、涙が止まらなかった。「どうしてこんなことになったんだろうと思うと、悔しくて、情けなくて」。4度目の被災地入りをした2013年6月のことだ。
現地で300日活動
震災直後から報道などで被災地の惨状を見るたびに「このまま何もしなければ、一生後悔する」と感じた。ついには公務員を辞め、12年4月に初めて車で被災地に入った。それ以来、翌年9月までに5度現地を踏み、計約300日、南相馬市をはじめ、岩手県陸前高田市、宮城県南三陸町などで活動した。
「被災地への先入観が一変した」という。現実を直視しつつ、生活を立て直そうと前を向く人たち。原発事故による放射線の影響も、人々は線量計などの数値を見ながら、冷静に暮らしていた。
「ヒステリックなのはむしろ、東北以外の人たちでは」―。被災地から戻るたびに感じた違和感は、いまも変わっていない。「ありのままを知ろうとせず、震災直後のイメージや思い込みが固定化している。それが結果として、農産物などへの風評被害を長引かせる原因」と指摘する。
「一年中支援を」
「3・11」が近づくたびに当時を振り返ろうとする風潮にも、違和感を覚える。「忘れていない、ということを被災地以外の人たちが確認したいだけのようだ。東北の物品を買うなどして、一年中支援してほしい」と願う。
「また被災地に行きたい」と明かす。それは現地の人たちが魅力的だから。復興のために活動する中高生のまなざしや、「やるしかない」と力いっぱい笑う商店街の人々…。「生きる勇気など、精神的な財産をたくさんいただいた」
震災から5年。変わる必要があるのは、被災地以外の私たちの方ではないかと感じている。「東北に足を運び、誇りを持って生きている人たちと触れ合ってほしい。津波被害や原発事故の印象で止まっている被災地の固定観念が大きく変わるはず」。そう強く思う。(大村隆)
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東日本大震災から11日で5年となる。県内から被災地を訪れて支援してきた2人に、いま伝えたい気持ちを語ってもらった。
(2016年3月10日朝刊掲載)