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歳月の重み 東日本大震災から5年 <下> 続ける意味 支援 つながり結び直す

 「東日本大震災の被災地への学生派遣をやめようと一度は決めていた」。広島大のボランティアサークル「OPERATION(オペレーション)つながり」で被災地支援の責任者だった4年笠井礼志さん(23)=東広島市=は明かす。活動が5年目に入り、学生の関心が薄れてきたからだ。

希望者1人だけ

 発生から間もない2011年夏、復興を支えようとサークルは誕生。卒業や入学でメンバーが入れ替わりながら年数回、仙台市の仮設住宅に学生を派遣した。掃除を手伝いながら世間話をし、お好み焼きを振る舞う交流会を開いてきた。

 活動は東広島市での障害児との交流や貧困にあえぐ海外の子どもの支援にまで広がった。14年8月に起きた広島土砂災害の被災地でも支援活動を続ける。

 一方、本年度に入った1年生10人のうち、東北支援の希望者は1人だけに。笠井さんは昨年夏、学生派遣の継続は難しいと判断した。同じころ、派遣先の仮設住宅の閉鎖も決まり、ことし2月が最後の派遣になるはずだった。

 ところが、予想外の出来事が起こる。仙台の仮設住宅から帰ってきた学生が「続けたい」と笠井さんに直訴したのだ。

 2年山田謙太郎さん(20)=東広島市=は昨年、仙台を2度訪れた。初訪問では住民にサークル名で「つながりさん」と呼ばれたが、2度目の年末は「山田君」と声を掛けてくれた。震災で失った家族の思い出を話してくれる人もいた。仮設住宅を離れると、また人間関係が切れてしまう―。そんな悩みも聞いた。山田さんは「うれしさと同時に継続する意義を実感した」と振り返る。

 別の学生も継続を訴えた。昨年末、仮設住宅の住民に「派遣をやめる」と伝えると「あなたたちもか」と落胆された。震災直後は全国から大勢のボランティアがやってきたが、続けて関わるのは一握り。仮設住宅の自治会長阿部東悦さん(68)は「遠い広島からまた来てくれると楽しみにすることは、高齢者が多い住民にとって生活の張り合いになっていた」と話す。

高校生と訪問も

 学生たちは、形を変えて東北に関わり続ける道を考えた。5月の仮設住宅閉鎖に伴い、住民の多くが引っ越す公営住宅での交流会を計画。広島県内の高校生と一緒に東北へ行き被災地の課題を探るツアーも練る。笠井さんは「高校生が大学生や社会人になったとき、行動の原動力になるかもしれない」と期待する。

 「被災地も自分たちも変わっていく。これからの5年は、これまでの5年よりもっと大切になる」と笠井さん。再び腰を据え、つながりを結び直す。(新谷枝里子)

(2016年3月11日朝刊掲載)

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