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社説・コラム

天風録 「未災地」の自覚

 線を引いて、そっちとこっちに分ける。白か黒か。敵か味方か。境界のはずが、お互いを隔てる「溝」となり、あるいは越し難い「壁」となりそうな気さえする。被災地と、それ以外という線引きも同じかもしれない▲被災地外ではなく、「未災地」と考えればいい―。阪神・淡路大震災に見舞われた兵庫発の呼び掛けが広まりつつある。全国に先駆けて、防災教育の学科を設けた県立舞子高校で教えていた諏訪清二さんの造語である▲これから大地震や津波、原発事故に直面しかねない土地だから「未災地」。災害列島に灰色はあっても、被災を全く忘れていられる空白地帯などないということだろう。墨の濃淡で描き分ける水墨画の世界がほうふつとしてくる▲諏訪さんも、東洋医学にある「未病」からの発想らしい。自覚症状がなくとも、病気に向かう下り階段の途中という見立て方。同じ伝で被災への階段を考えれば、千年に1度とされる東日本大震災は人ごとではない。学びがいも千年級だと心得たい▲きょうで3・11から5年。春休み、卒業旅行で東北の地に向かう若者もいるかもしれない。「未災者」として見聞きすることは、きっと心の壁を削ってくれる。

(2016年3月11日朝刊掲載)

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