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連載・特集

忘却にあらがう 東日本大震災から5年 <1> 漫画家・こうの史代さん

被災地の今 スケッチ 常に見守る決意映す

 東北の「いま」を1枚のスケッチに切り取ってきた。雑誌「週刊漫画ゴラク」(日本文芸社)での連載「日の鳥」は200回を超える。4日発売の最新号は、岩手県宮古市の田老地区を取り上げた。重機が入って宅地造成などが進む現地の様子をボールペンで素描する。「本当にめまぐるしく、別の町になりつつあると感じる」

 「日の鳥」は、妻を捜して旅するおんどりを主人公に、震災後の東北各地の風景を描く。旅は、被災5カ月後の岩手県釜石市から始まり、小学校の校庭に仮設住宅が並ぶ同県陸前高田市や、立ち入り禁止の看板が立つ福島県楢葉町などを巡っていく。

◆つぶやき添えて

 柔らかいタッチの風景画に、おんどりのつぶやきを添える。いずれも自ら取材して歩いた場所だ。2カ月に1度の割合で被災地に通ってきた。

 2011年3月11日は、当時住んでいた東京にいた。変わり果てた東北の姿をテレビで眺め、「もう昨日みたいな日常は戻ってこないんだ」と感じた。何かできないか。でも広島市西区出身で縁はない。しばらくもやもやと過ごした。

 3カ月後の6月。かつてアシスタントを務めた漫画家、とだ勝之さんの呼び掛けに応じ、福島県であった被災地支援のイベントに参加。その後も同じイベントで、山形、岩手、宮城へと巡った。8月に釜石市を訪れた際には知人に案内してもらい、釜石大観音などをスケッチした。

 当初は「使わないかもしれないけど描いておきたい」と思った。訪問を重ねるうち、「細く長く続く連載にできないだろうか」と、雑誌の編集者に持ちかけた。その編集者の出身は福島。編集長に掛け合ってくれ、毎週1ページを用意してくれた。

 連載は震災1年後に始まった。「私は東北について何も知らない。外側の立場から知ろうとする姿勢を大切にしよう」。被災地が今どうなっているのか、さりげなく伝える。

 風景だけだとインパクトが弱い。でも、人間の物語だと生々しすぎる。そこで、それぞれの作品の中にニワトリを入れる構成にした。

◆空から「生きよ」

 印象深い一枚がある。12年7月、釜石市街。<ああ/空が/「生きよ」/と言っている//無責任に//他者だからだ/ヒト事だからだ//でもそれを/真に受けるかどうかは/わたくし達の/自由なのだ>。空を見上げるおんどりはそうつぶやく。

 釜石で朝の散歩中、ふと見上げた夏の空の美しさに心を奪われたという。その時に思い出したのが、尾道市出身の画家平山郁夫が描いた「広島生変(しょうへん)図」。原爆の炎の赤色で埋め尽くした空に、広島の再生への願いを込めたとされる絵だ。「この町へ、空から『生きよ』という声が聞こえてきたような気がした」

 おんどりに悲愴(ひそう)感はない。時が経過して人々の記憶が薄れていく中でも、毅然(きぜん)と旅を続ける。「常に誰かが忘れずに、こうやって訪ねている。そして、常に見守っていると伝えたかった」。自身を投影しているかのようだ。

 これまでに、代表作「夕凪の街 桜の国」や「この世界の片隅に」で原爆や戦争にも向き合ってきた。「原爆も震災も私は当事者ではない。体験していない、そして今はそこにないものをどう伝えていくか。そこは共通している」。自らに与えられたテーマだと受け止める。

 あの日から5年。連載は今月で終えるが、今後、東北を舞台にした読み切り漫画も手掛けるつもりだ。「私の中では、これからが本番です」(石井雄一)

    ◇

 東日本大震災から11日で5年を迎える。痛みや悲しみを多くの人が立場を超えて共有したが、歳月はその記憶を遠のかせる。忘れないために何ができるか。模索する中国地方ゆかりの表現者を追う。

こうの・ふみよ
 1968年広島市西区生まれ。95年「街角花だより」でデビュー。連載「日の鳥」の一部は2014年5月に単行本で刊行され、続巻も予定されている。京都府福知山市在住。

(2016年3月10日朝刊掲載)

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