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社説・コラム

社説 震災5年 進まぬ帰還 福島の声に耳を傾けよ

 きのうテレビにあふれる3・11番組を見るのを途中でやめたという。福島第1原発事故のために福島県飯舘村から福島市の仮設住宅に避難している、60代の女性はため息をついた。「一向に進んでいないのに、復興という言葉を聞くのが嫌なので」

 飯舘村の6700人を含め、今なお福島では10万人近くが避難生活を続ける。住み慣れた家や仕事、地域の絆を奪われた。事故から5年たっても、先が見えない。それは中国地方に生活の拠点を移した多くの人たちにとっても同じだろう。

 戻りたいけど、戻れない―。諦めを口にする避難者が年々増えているのが気掛かりだ。50キロ圏を超えて降り注いだ放射性物質が、ふるさと帰還を阻んでいる。国は数兆円の巨費を注ぎ込んで除染作業を進めるが、低線量被曝(ひばく)をめぐる安全の線引きは難しい。避難者の不安や疑問はこの点に尽きよう。

 原発周辺の田村市、川内村、楢葉町では先行して避難指示が解除された。ただ対象地域で帰還したのは事故前の1割弱の約750人にとどまる。決してゼロではない被曝リスクに加え、病院や学校、商店などの生活インフラが十分でないことが影響している。厳しい現実に、将来の住民帰還を目指す他の自治体も戸惑いを隠せない。

 実際にこの5年の間に、古里に見切りをつけて別の土地に家を買う避難者が相次いでいると聞く。放射線の影響を受けやすいとされる子どもの県外避難は1万人近く、地域の将来像に影を落としていよう。

 なのに国の姿勢はどうなのだろう。来年3月までに広い範囲の避難指示を解除し、その翌年には賠償も見直す方針を示している。住民帰還や経済的自立にはいずれ避けられない措置とはいえ、こうまで急ぐ必要がどこにあるのか。

 区域解除によって、公的支援が薄い全国各地の自主避難者と同じような苦境を強いられる可能性がないとは限らない。「棄民ではないか」と反発する声が上がったのも当然である。

 原発事故は収束していない。汚染水対策は今も切り札がなく、汚染土の中間貯蔵施設の用地取得交渉も難航する。こうした現状を考えると、国の復興計画は楽観的に過ぎないか。

 原発周辺地域に、廃炉をめぐる研究施設を誘致する計画もある。地域活性化には一定の効果があるかもしれないが、廃炉をビジネスとして胸を張るような姿勢なら、県内の原発ゼロを願う県民の共感は得られまい。

 放射線との闘いは何十年も続くだろう。県民が恐れている記憶の風化や教訓の軽視が政財界で進んでいるのではないか。原発回帰を当然視する空気が、その象徴であろう。

 一方で、東京五輪へのロードマップの上で福島について語ることが多い安倍政権の姿勢にも違和感は拭えない。おととい発表した復興基本指針でも「復興した姿を世界に発信する」と掲げた。しかし厳しい現実をよそに、福島の再生ばかりを強調するようでは困る。

 国の政策と県民の思いには相当なギャップがあることを認識してもらいたい。五輪うんぬんよりも、もっと長いスパンで被災地支援を考えるべきだ。そのためにも住民帰還が進まぬ理由を掘り下げねばならない。

(2016年3月12日朝刊掲載)

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