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社説・コラム

キーパーソンがゆく 猿猴橋復元の会(広島市南区)大橋啓一会長 

寄付募り機運盛り上げ にぎわう町の象徴に

 待ち望んだ時が、もうそこまできた。16日で建造90年になる広島市南区の猿猴橋を、「広島一の橋」とうたわれた往時の姿へ復元する市の工事は最終盤だ。「広島の戦前を物語る証し。これからの大きな観光資源になる」。会として、実現へ地元の住民や関係者の熱意を束ねてきた。

 猿猴橋は、かつての西国街道で広島中心部への玄関口だった。被爆橋の一つで土木学会の選奨土木遺産。戦前の地元の誇りだったのが、今回よみがえる、親柱の頂上で羽ばたく青銅製のタカの像や、架空の動物「猿猴」と桃の透かし彫りの欄干だ。戦中に兵器製造で供出され、なくなっていた。

 1996年、校長を務める専門学校が中区から、橋に近い今の南区的場町に移り、地域のお年寄りから昔の橋の姿を懐かしむ声を聞いた。ただ、よく知る人は80~90歳。危機感を抱いた住民たちと2008年7月に復元の会を設立した。

 機運を高めようと、親柱を再現したモニュメントの制作を企画し、募金に奔走。「ぜひ実現して」と激励されながら約1千万円を集め、昨年3月に橋のそばに建立した。盛り上がりを受け、復元は市の被爆70年事業の目玉になった。

 会メンバーも加わる実行委員会が今月28日に復元記念の祭り「えんこうさん」を初めて開く。毎年続け、若者を呼び込む仕掛けをする考えだ。間近では再開発ビルが8月と12月に相次いで建つ。

 「橋が、にぎやかな町の象徴になれば」。期待は膨らむ。(渡辺裕明)

おおはし・けいいち
 1946年、広島市南区日宇那町生まれ。70年に東京芸大美術学部を卒業。トヨタ車体に約3年勤めた後、73年にひろしま美術研究所、81年に広島芸術専門学校をそれぞれ設立した。2008年7月に猿猴橋復元の会を発足。15年10月に地元企業などと結成した、えんこうさん実行委員会の委員長も務める。

(2016年3月12日朝刊掲載)

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