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安全チーズ 再起の一歩 原発事故 福島から牛と安芸高田へ

 福元紀生さん(33)奈津さん(33)夫妻が、福島第1原発事故の影響から逃れ、福島県いわき市から安芸高田市甲田町の牧場に乳牛を連れてきて8カ月がたった。自然放牧と安全なチーズ作りの生活を奪われた喪失感を抱えたまま、新天地で夢に向かって再び歩き始めた。(衣川圭)

 「肩の部分の筋肉は落ちたまま」。奈津さんはジャージー種の牛を見つめて、そうつぶやく。体重が減った牛の姿は、夫妻の苦難と葛藤を物語っている。

 廿日市市出身の紀生さんと東京都出身の奈津さんは、広島市立大の同級生として出会った。2008年、自然放牧によるチーズ作りを目指し、紀生さんの修業していた牧場のある東京からいわき市に移住した。

 山間部の牧場約10ヘクタールで牛を育てる。自然に抱かれ、食の安全を目指す暮らしは、原発事故で断ち切られた。

 夫妻は昨年3月16日、牛などの家畜を残して関東に逃げた。だが5日後に戻った。「地域を見捨てるような気がした」。残した家畜も気に掛かった。

 5月に4頭の親牛のうちの1頭が死んだ。近くの牧草から2千ベクレルのセシウムが検出された。安全だと信じ込もうとした時期もあった。「でも草原の草を食べさせる飼育方法では、自信を持って製品を出せない」。紀生さんは甲田町の知人の牧場に避難することを決めた。

 7月にトラックを借り、牛や羊を載せ、約千キロ離れた同町まで運んだ。開拓したいわき市の牧場も、廃屋を補修して住んだ家も手放すことになった。

 移住後に出産した母牛が9月に死んだ。現在はその子牛を含む4頭を飼育する。ふん尿から放射線物質は検出されていない。今の牧場ではチーズの加工施設を造れないため、4月から庄原市口和町に移る計画を立てる。さらに安全にして、チーズ作りを再開する。

 紀生さんは「生活を奪う原発を使い続けることは理解できない」と力を込める。奈津さんは新しい牧場の姿を思い描く。「近所の人の集まる牧場にしたい」。それが、いわき市から引き継ぐ夫妻のスタイルだから。

(2012年3月3日朝刊掲載)

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