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社説・コラム

社説 震災5年 光と影 両面見つめ復興の礎に

 東日本大震災の直後は、美談がもてはやされた。略奪やパニックなどは起きず、落ち着いて水や食べ物を譲り合う。「災害ユートピア」と呼ばれ、海外からも注目を浴びた。

 あれから5年。高揚感は、とうに冷めている。一方で賠償金や支援金の落差が生活再建のスピードを左右している。人と見比べることが増え、負の感情がふつふつと湧きつつあるのだろう。被災地を訪ねた人の口から、穏やかでない地元の声や風景が伝わってくる。

 いわく「昼間からぶらぶらしている被災者も目に付く。そろそろ、働いて自立しなきゃと言いたくなる」。「原発事故で古里を追われ、泣く泣く避難先に新居を構えたのに、地域社会とうまくいかない家族もある」

 何とも痛ましい。だが、そうした暗部もまた、一つの実相に違いない。共助や公助の「光」だけでなく、「影」からも目をそらさず語り継いでいくことが、災害に強い社会づくりの礎となるのではないか。

 先例がある。2004年秋に起きた新潟県中越地震の4年後、「中越発 救援物資はもういらない!?」と題する冊子が行政と市民の協働で出版された。

 全国から山のように届く救援物資が半面、重荷ともなった検証リポートである。避難所に使えたはずの市立劇場や三つの体育館が倉庫用に回され、ごちゃまぜで送られた段ボール箱の整理で一時は200人もの人手が取られた。復興に取り組む商店を横目に、ただで物品を配り続けることがどうだったか―。

 善意に感謝しつつも、その明暗をはっきりさせておかなければ、次の被災地を苦しめることになる。その一心から、勇気を奮っての発信だった。

 これを教訓に以後、現地の求めに応じた支援の大切さや復興期には義援金の方が有効との認識が広まっている。

 東京電力福島第1原発事故でも、直後は表に出てこなかった面に光を当てる動きがある。

 福島の民話などを紙芝居に仕立ててきた広島市民のグループ「まち物語制作委員会」である。今月封切りのアニメ映画「無念」には、地元住民が押し殺してきた声を幾つもすくい取り、あえて盛り込んだ。

 震災直後、患者を運ぶ救急車が県境の検問で「除染が済んでいない」と足止めを食ったこと。おととし、福島支援と銘打った首都圏での物産市に出店した帰り道、商業施設のごみ箱に買ってもらった農産物が袋ごと捨てられていたこと…。

 委員会の面々は「被爆地広島の人間だからこそ、聞き取れた嘆きや無念の思いでもある」と言う。福島の仮設住宅を訪ねた際、「広島から来ました」と自己紹介した途端、ひざを乗り出し、表情を緩ませた被災者の姿が忘れられないそうだ。

 低線量被曝(ひばく)の評価や帰還の是非など、意見が分かれ、板挟みとなる問題も多い。本音をひた隠すストレスを和らげる意味でも、傾聴は欠かせない。

 戦後このかた被爆後を生きてきた広島と、これから被曝後を生きていく福島と。思いを重ね、福島の人々の声に耳を澄ますことは、広島ならではの支援といえるだろう。

 「人の復興」は道険し、の感が拭えない。私たちが支えになれることは、まだまだある。

(2016年3月13日朝刊掲載)

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