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元音楽教師 故パルチコフ氏愛用 情熱のバイオリン再生

ゆかりの広島女学院 修復し演奏会

 広島女学院中・高(広島市中区)の前身、広島女学校の音楽教師だったロシア出身の故セルゲイ・パルチコフ氏愛用のバイオリンが修復され、3日、広島市東区の広島女学院大で記念コンサートがあった。広島の被爆をくぐり抜けたと伝わるバイオリンが久しぶりに響かせた調べに、約70人が聴き入った。(野田華奈子)

 コンサートでは、県内を中心に活躍する「マイ・ハート弦楽四重奏団」が4曲を披露。メンバーの釈伸司さん(52)が2曲の演奏で修復したバイオリンを用い、会場の礼拝堂は澄んだ伸びやかな音色に包まれた。

 学校法人広島女学院によると、パルチコフ氏はロシア革命を逃れて家族で来日。女学校の教師を務め、戦後は米国に渡ったという。45年の原爆投下時に家族は広島におり、バイオリンもともに被爆したと伝えられている。

 女学院が86年に開いた100周年記念式典に長女のカレリアさんが出席し、バイオリンを寄贈した。弦などが傷んでおり、壊れたまま女学院の歴史資料館で展示されていた。

 昨年12月、仕事で広島に滞在していたイタリア在住のバイオリン製作者石井高さん(68)が、同大を訪問。女学院側の依頼を受け、イタリアの工房で約3カ月かけて修復した。

 コンサートで修復の経緯を説明した石井さんは「高音が美しかった。パルチコフ氏の音楽への情熱を引き継いでほしい」と求めた。カレリアさんが来日した際に同大職員だった長西貞美さん(76)=中区=は「生き返ってうれしい」と喜んでいた。

セルゲイ・パルチコフ氏
 1893~1969年。広島女学院によると、ロシア・カザニ市生まれ。1922年にロシア革命を逃れ、日本に亡命した。広島の映画館でバイオリンを弾いていた時に才能を見込まれ、26年から43年まで、広島女学院中・高の前身の広島女学校で音楽教師を務めた。

(2012年3月4日朝刊掲載)

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