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「原爆の子」 スワヒリ語訳 ケニア出身アリ・アタスさん 体験記に心動かされ

 原爆投下から6年後の1951年に発行された広島の少年少女の体験記集「原爆の子」の一部が、アフリカ東部のケニアやタンザニアなどで公用語になっているスワヒリ語に訳された。これまでに14言語に訳されているが、アフリカ系の言葉は初めて。タイトルは「広島の子どもたち」で、手記105編のうち17編を収録している。(宮崎智三)

 翻訳・自費出版したのは、94年から日本に住むケニア出身のアリ・アタスさん(66)。ジャーナリストや英語教師として働く傍ら、「原爆の子」を読み、子どもたちの訴えに心を動かされて翻訳を決意した。「広島の子どもに降りかかったこの世の地獄の災禍と悲しみが伝わるよう」バランス良く手記を選んで訳した。

 広島上空に浮かんだ原爆のきのこ雲や、焼け野原となった街の様子の写真、被爆者が惨状などを描いた8枚の絵も掲載。ケニアのソロモン・マイナ駐日大使が「この本は、核戦争に対する人類への警鐘です。読む人々には、後世までこの警鐘をつなげていただきたいと思う」とのメッセージを寄せている。

 アタスさんは「平和と核兵器廃絶の訴えは、世界にとってもケニアの子どもたちにとっても重要だ」と話している。

 A5判、74ページ。一部カラー。100部印刷し、半分はケニアとタンザニアの小学校、両国の文部科学省などに贈る予定。

「原爆の子」

 教育学者で広島大教授だった長田(おさだ)新氏(1887~1961年)が、教え子とともに編集した原爆被害の体験記集。小学生から大学生までの105人の手記を収録している。51年に岩波書店が発行し、日本語版は単行本と文庫本で累計27万部を超すロングセラーとなった。同書店などによると、これまでにエスペラント語や英語、ロシア語、インドネシア語など14の言語に翻訳されている。

(2016年3月14日朝刊掲載)

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