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連載・特集

忘却にあらがう 東日本大震災から5年 <4> 戦後史研究者・丸浜江里子さん

市民運動 歴史に学べ ビキニ後と二重写し

 1954年、米国が太平洋ビキニ環礁で強行した水爆実験。現地の島民たちに加え、日本のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員が被曝(ひばく)した。広島・長崎に次ぐ核被害は日本中を恐怖に陥れ、原水爆禁止運動の誕生につながる。だが、時を同じくして「核の平和利用」政策も進んだ。

 なぜなのか―。背景を丹念にひもとき、新著「ほうしゃの雨はもういらない 原水禁署名運動と虚像の原子力平和利用」(凱風社)にまとめた。

◆原水禁のうねり

 福島第1原発事故後、80歳の友人が「広島、長崎、ビキニ、福島。日本は核にたたられているようだ」と口にした言葉が、胸に引っ掛かってきたという。 「米国に原爆を落とされ、ビキニ被災では国民的な原水禁運動も起きた日本に、なぜ54基も原発が造られ、最悪の事態になったのか。そんな問いにつながる言葉」。2011年3月11日以降、多くの人に投げ掛けられた問いでもあった。「答えに少しでも近づきたかった」と新著に込めた思いを語る。

 00年まで都内の公立中で社会科教員を務めた。退職後、地元杉並区の教科書採択問題に直面し、市民運動に関わるように。人と人をつなぐ運動の楽しさも難しさも体験した。もっと学び、深めようと大学院へ。杉並が発祥の地となった原水禁署名運動を研究し始めた。

 大きなうねりとなって全国に広がった初期原水禁運動のエネルギーに触れ、「歳月をたぐり寄せるような感動を味わった」。成果は11年、1冊の研究書に。そのあとがきを書いているさなか、東日本大震災が起きた。続いて原発事故も。「いま一度、歴史と背景を捉え直す必要」を感じた。

 「ほうしゃの雨はもういらない」では、原水禁運動とコインの表裏のように、日米政府によって巧妙に進められた「核の平和利用」政策のからくりに迫った。

◆巧妙な「心理戦」

 日本を極東戦略の中心と位置づけ、「心理戦」を展開した米国の公文書や政府高官の発言などを分析。高まる原水禁運動が反米感情にまで波及しないよう、原子力の活用や再軍備に前向きな学者や政治家、メディアを陰に陽に支援した米国と、その意向に沿うように民衆運動を敵視し、「平和利用」キャンペーンを続けた日本政府の姿を伝える。

 書きながら、60年前の出来事が現代と二重写しになった。多くの人が反対する中、対米関係を重視して集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法を成立させ、原発の安全神話が崩壊してもなお、再稼働や海外輸出を推進…。「私たちはビキニ以降、何を学んだのだろう。何かを学んだのは民衆の側ではなく、政治家、権力の側ではないか」と思い知らされた。

 近ごろ、新聞の訃報で60代のがん死をしばしば目にするようで気になっている。自身も昨年、がん告知された。米国は1946~58年にビキニ環礁のあるマーシャル諸島で計67回の核実験を繰り返した。「当時成長期だった世代の私も『ビキニの子』。何らかの影響を受けているのではないか」

 タイトルの「ほうしゃの雨」は、当時の子どもが放射能に汚染された雨を指して話した言葉を、54年の新聞で見つけて採用した。「現在の福島の子どもと重なって見える」からだ。

 福島の原発事故から5年。あらためてビキニ被災後に「生命と幸福を守りましょう」と立ち上がった民衆を思う。「市民運動は、巨大な権力による思想戦略によって抑えつけられてきた。私たち民衆の側もそれに気づき、流れを変えなくては」(森田裕美)

まるはま・えりこ
 1951年千葉県生まれ。都留文科大非常勤講師、明治学院大国際平和研究所研究員。2006年、初期原水禁運動の研究で平塚らいてう賞奨励賞。11年、著書「原水禁署名運動の誕生」で駿台史学会選奨受賞。東京都杉並区在住。

(2016年3月15日朝刊掲載)

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