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連載・特集

忘却にあらがう 東日本大震災から5年 <5> ミュージシャン・中川敬さん

歌いつなぐ「あの日」 被災各地の思い重ね

 歌うたび、歌われるたびに、新しい意味が上書きされていく。代表作といえる存在となった歌「満月の夕(ゆうべ)」に、そんな手応えを感じるという。

◆神戸の避難所で

 <風が吹く/港の方から/焼けあとを包むようにおどす風/悲しくてすべてを笑う/乾く冬の夕>

 歌い出しから「被災地」の光景を強く喚起する歌。1995年、阪神大震災直後の神戸で、避難所を回って出前ライブをする中で書き上げた。何人ものミュージシャンがカバーし、それぞれの思い入れを熱く語る。

 東日本大震災後、東北の被災地のイメージも重ねて歌い、歌われる。そのたびに、「あの日」を忘れない決意も歌に重ねられる。

 「どっちの震災も、ほんの少し前のことに思えるねん」。関西弁の語りに実感がこもる。2014年秋、広島土砂災害から3カ月後の広島市安佐南区の被災地も訪れ、この歌を届けた。

 いくつかのバンドを経て93年、ロックバンド「ソウル・フラワー・ユニオン」を結成。関西を拠点に活動し、2年後、阪神大震災に遭遇する。自分たちに一体、何ができるか。「歌いに行こう」。メンバーの発案で被災地へ繰り出したことが、大きな転機になった。

 沖縄の三線(さんしん)やチンドン太鼓など、電源の要らない楽器を手にしての出前ライブ。避難所にはお年寄りも多く、「自分らのロックを押し付けてもしょうがない」。求められるまま、戦前戦後の流行歌、労働歌や民謡を届けた。涙と喝采で感謝された。一番多くリクエストされたのは朝鮮民謡「アリラン」だ。「歴史をくぐってきた歌の力を思い知らされた」。音楽観が変わる体験。「満月の夕」はそんな時空から生まれた。

 11年3月、東日本大震災が起きると、やはり現地入りせずにはいられなかった。4月に被災状況を見て回った後、5月から出前ライブに。宮城県の石巻、南三陸、気仙沼、岩手県の陸前高田、大船渡…。阪神大震災の時以上に「言葉を失う光景」の中、「満月の夕」や東北民謡などを仮設住宅の被災者たちに届けた。

 津波で市街地が壊滅し、800人を超える死者を出した宮城県女川町では、奇跡的な出来事も。11年4月に訪ねた際、見渡す限りのがれきの中に、レコードのターンテーブルがうずもれているのが目に留まった。写真をインターネット上の自分のツイッターに掲載すると、思わぬ反応があった。「それ、俺のです」―。

 持ち主は、津波で自宅を流され、祖父や多くの知り合いも亡くした同町在住の高橋正樹さん(41)。ソウル・フラワー・ユニオンの大ファンで、阪神大震災の被災地でボランティア活動した経験もあった。

 高橋さんと一緒にターンテーブルを回収し、現地でライブ。人と人をつなぐ、計り知れない歌の力をかみしめた。

◆「ゲン」への共感

 最近はバンド活動の傍ら、ギター1本を抱えてソロツアーにも励む。巡演先の一つ、広島は思い入れの深い地だ。「中沢啓治さんの漫画『はだしのゲン』は俺の聖典」。被爆の焦土を、泣き、笑い、怒りながら駆けるゲンたちに熱く共感する。阪神でも東北でも、老若男女の「ゲン」に向かって歌ってきたような気持ちでいる。

 「満月の夕」の歌詞は続く。<時を超え/国境線から/幾千里のがれきの町に立つ/この胸の振り子は鳴らす/〝今〟を刻むため>

 人々は何度も「がれき」の中に立たされてきた。「人間は、殺し合うことも助け合うこともできる。震災のがれきの町で助け合う人々がいた」。その光景に、歌をよすがに立ち返る。何度でも。(道面雅量)

なかがわ・たかし
 1966年兵庫県生まれ。「ソウル・フラワー・ユニオン」のリーダー。「満月の夕」はバンド「ヒートウェイヴ」を率いる山口洋との共作で、歌手の酒井俊、沢知恵、平安隆らがカバーしている。大阪府在住。

(2016年3月16日朝刊掲載)

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