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社説・コラム

『論』 原発事故の自主避難 「安全」だけで不安拭えぬ

■論説委員・平井敦子

 5年前の福島第1原発事故による放射線が健康にどんな影響をもたらすのか。実は私は当時から、「通説」を違和感なく受け入れることができた。

 国立がん研究センターはこれまでの研究を基に、発がんのリスクの目安をまとめている。年間被曝(ひばく)量100ミリシーベルト以下ではリスクが高まるかどうか分かっておらず、100~200ミリシーベルトを受けた場合は1・08倍になるという。

 一方で、生活習慣によってもリスクは高まる。野菜不足で1・06倍、運動不足や肥満でおよそ1・2倍、喫煙や毎日3合以上の飲酒では1・6倍にもなるらしい。

 事故後まもなく、そうしたデータについて放射線の専門医らが発信に努めた。なぜなら、100ミリシーベルト以下の低線量被曝を避けるために食生活が偏ったり家に閉じこもったりして、かえって生活習慣のリスクが高まることなどが心配されたからだ。100ミリシーベルト以下ならば、がんの発生を気にする必要がない、とも伝えられた。

 これまで医療や健康にまつわる取材をすることが多かった私にはそれなりに納得できた。運動不足の解消法やたばこが体に与えるダメージなどの取材を通じ、あしき生活習慣の怖さを感じていたからかもしれない。医療は不確実で、その時代の常識を信じるしかないという諦めからかもしれない。

 しかし事故の後、低線量被曝についてのさまざまな見方が示された。科学者の間でも意見が分かれる。100ミリシーベルトという目安に違和感を拭えない人も少なくない。事故から5年たった今も、全国各地で暮らしている自主避難者たちもそうではないか。

 福島県郡山市から広島市に移って開業した弁護士石森雄一郎さん(36)もその一人。石森さんは放射線の影響について「自主避難者には、払拭(ふっしょく)することが非常に困難な不安がある」と強く訴える。そしてこう問い掛ける。「科学や医学だけでは、その不安について説明できないのではないか」と。

 石森さんは次のように話す。

 そもそも被曝は少しでも避けるものとされていた。それがある日突然「低線量なら大丈夫」と言われても信じられるかどうか。今回は「絶対安全」といわれた原発の事故がすべてのスタートで、政府や東京電力が発信する情報には不信感が消えにくい。放射線が健康に与えるリスクについては多岐にわたる見方があり、これが「通説」「安全」と押し付けられても受け入れるのは難しい―。

 なるほどと思う。結局、多数派の説から「安全」といくら言い張っても「安心」が得られるとは限らないということだ。人の判断や行動にはそれまでの認識や経過はもちろん、それを踏まえて生じる印象や感情も多分に影響する。3・11を振り返れば不安が生じるのはむしろ自然な成り行きだろう。

 「安全」と「安心」を分けて考える必要がありそうだ。政府が考える「安全」という物差しだけでは、避難者支援の仕組みをつくれないのではないか。

 政府は昨年8月、自主避難者らをサポートする子ども・被災者支援法の改定基本方針で、被災地の空間放射線量の低下を理由に「新たに避難する状況にはない」と打ち出した。福島県が自主避難者への住宅の無償提供を2017年3月で打ち切ると決定したことも現状に即している、と。

 本当にそうだろうか。安全か危険かについて意見の一致が見られない中で、仮に安全だとしても、今なお消えぬ不安がある現実と向き合い、そのために避難を余儀なくされている人たちのサポートを続けるべきではないのか。

 リスク心理学が専門の中谷内(なかやち)一也・同志社大教授の著書「安全。でも、安心できない…」(ちくま新書)を読んでヒントをもらった。「安全は安心のための必要条件であるが十分条件ではない」と説く。安心して暮らすために必要なのは、リスク管理に携わる人や組織への信頼である、と。

 原発事故によって木っ端みじんに吹き飛んだ政府や東京電力、ひいては科学への信頼を回復するのは容易ではない。「安全」の押し付けでは避難者は救われない。

(2016年3月17日朝刊掲載)

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