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社説・コラム

『潮流』 カザフの画家逝く

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 少女が2年越しの希望がかなって被爆地広島を訪れたのは2000年のことだった。草原の国にふさわしい爽やかな風のような人。取材して、そんな印象を持った。

 画家と呼ぶのが、一番喜んでもらえるだろう。カザフスタンのレナータさんである。旧ソ連最大のセミパラチンスク核実験場の近くで生まれ、先天的な骨格障害があった。当時は18歳だったが、身長は80センチ余り。父フェアトさんの押す車いすで原爆資料館を見学し、原水爆禁止世界大会にも出席した。前年は、体調不良で来日できなかった。

 そんなレナータさんの訃報を聞いたのは、つい1カ月ほど前だった。カザフ支援を続ける知人が教えてくれた。昨年、母を亡くしたことも影響していたのだろうか。現地ではアーティストで心理学者という肩書で、肺炎のため33歳で亡くなったと報じられた。

 16年前に取材した世界大会での記憶をたどると…。「核実験場が私の運命に消し去りがたい傷痕を残した」「つらいが、人生を諦めたくない」。か細いが、心に染み通るような声でそう訴えていた。

 03年には、市民グループの主催で作品展が広島市内で開かれた。雪の積もった山脈や朝焼けの砂漠を歩くラクダなどカザフの豊かな自然を描いた油絵などが並べられた。優しく明るいタッチは、人柄そのままのように思えた。

 みんなと同じように街を歩いたり図書館に通ったりすることを夢見ていた。果たせなかった寂しさはきっと、好きな絵を描くことで埋めていたのだろう。風景画が多いのも、うなずける。

 市民グループは今夏、広島で作品を展示する計画を進めていたそうだ。「(原爆の悲劇が)二度と起きないよう願う。子どもたちが幸せであるように…」。資料館の芳名録に、そう記したレナータさん。思いをあらためてかみしめるきっかけにしたい。

(2016年3月17日朝刊掲載)

 レナータさんが15歳の時に書いた放射能を告発する詩「ポリゴン(核実験場)」

 ▽「ポリゴン」
 ほら、原爆きのこがあがった。もこもこと黒雲が、空に噴き出した。

 手当たり次第にすべてを焼き尽くす。恐ろしい閃光(せんこう)がきらめく。

 ああ大地は悲痛にもがき叫ぶ。その雲の下、地球は震撼(しんかん)する。

 地球の生気の全てを奪い取る。毒によって全ての人を皆殺しにする。

 人間に計り知れない苦悩をねじ込んで、人間から人間の未来を奪い去る。

 もう核実験はやり過ぎだよ、ごめんだ。もう、人間の運命をもてあそぶのは、ごめんだ。

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