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連載・特集

『生きて』 マツノ書店店主 松村久さん(1933年~) <2> 父の開業

旅券の間違いを屋号に

  実家が呉服店を営んでいた父勇さん、母ヒデコさんの長男として1933年、山口県鹿野村(現在の周南市鹿野)に生まれた。3人の妹との4人きょうだいだ
 おやじは私が生まれて間もなく、本の行商を始めた。詳しい仕入れ先は分からんけど、卸屋から買ってたんじゃないかな。自転車で県境を越えて津和野(島根県津和野町)まで行き、田舎の小学校を回って先生相手に本を売っていたと聞いた。

 鹿野は人が少ないし、多く売るには遠くへ行くしかない。自転車にたくさん本を積んでいったんだろうから、大変な苦労ではあるね。とにかくおやじは本が好きじゃった。

  3歳の時、家族で徳山駅の北西1キロ余りへ引っ越した。間もなくして勇さんは、自宅で古書店を開く
 商売をするには人がたくさんいるところでないと、と考えたのだろう。「松野屋書店」という名前でね。名字が松村なのに、どうして屋号が松野なのか。

 父は若いころ、台湾で亡くなった義兄弟の遺骨を引き取るため、台湾へ行ったことがあった。そのとき作った旅券に、なんで間違ったのか「松野」と登録されていた。旅の最中は仕方なく「まつの」で通したが、こっちの方が気に入って松野屋にしたんでしょう。今もそのままマツノの屋号を使っています。

  39年、6歳で徳山尋常高等小(現徳山小)に入学。2年前に日中戦争が始まり、戦時色が深まっていった
 目立たない子でね。勉強も飛び切りできやせんし、どうしようもないほどじゃない。中ぐらいよね。まあ本屋だから本は読むけど、人並み以上ではなかった。店と自宅が一緒だったから、友達を招くとみんな珍しがって本を手に取っていた。軍国教育も受けていたんだろうけども、特別覚えていない。当たり前と思っとったんじゃろう。

 貧しい時代だった。同じクラスに、昼食の弁当を持ってこれない子がおったのを覚えちょる。周りの者がからこうてね。おやじの古本屋は日銭が入ってきたようだから、なんとか商売になっていたんだと思う。お金がなくて困るとか、そういうことはなかった。

(2016年3月18日朝刊掲載)

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