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社説・コラム

『潮流』 福島発「日々の新聞」

■論説委員・石丸賢

 福島県いわき市の元夕刊紙記者たちが出している地域紙「日々の新聞」の郵送読者になった。タブロイド判の紙面が月に2回届く。高飛車でない、市井の声を聞き取ろうとする編集姿勢が気に入っている。

 最新号は12ページ。特集はもちろん、震災5年である。福島原発告訴団に名を連ねた詩人、若松丈太郎さんの作品が巻頭に置かれている。中ほどの連に、こんな2行が見える。

 <あなたたちはこの五年をどう生きたのか/あなたたちはこれからをどう生きるのか>

 ずっしりこたえる問い掛けである。そのトーンは、なんと紙面下の広告欄にまで通じている。

 地元の運輸会社は、社業PRはさておき、市制50年の祝賀イベントに大枚がつぎ込まれることを取り上げている。復興の歩みを検証し、行く手を見つめ直すべきではないかと説く。

 歯科医院の広告はゲーテの言葉を添えている。「若い時は興味が散漫なため忘れっぽく、年をとると興味の欠乏のため忘れっぽい」

 調子こそ違えども、疑問や皮肉を投げ掛けている。その切っ先はむろん、自らにも向けた上で繰り出されたものに違いない。被災地の、疑問や矛盾だらけの日々はまた、自問自答を余儀なくされている日々に違いないからである。

 翻って、被災地の外の私たちにも問いは突き付けられている。<この五年をどう生きたのか>と。

 震災からほどなく、「災後」といった言葉を見かけた覚えがある。「これを境に、きっと日本は変わる」との思いを込めた区切り方だったはずである。

 価値観は、そして生き方は、あの日を境にどれほど変わっただろう。

 3・11を忘れないと繰り返す口の裏で、何を覚えておくべきかを忘れてはいませんか-。「日々の新聞」はそう問うてくる。

(2016年3月19日朝刊掲載)

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