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社説・コラム

『私の学び』 児童文学・絵本作家 毛利まさみちさん 

本とのつながり夢育む

 物心ついた頃から本はいつもそばにあった。父は貸本業で、雑誌や小説を詰めたトランクを自転車に乗せ、官公庁を回る仕事をしていた。自宅には本がたくさんあった。

 父はもともと日本統治下の台湾で公務員をしていた。熊本に引き揚げた後、商売でだまされ、生活は一変。中学3年まで新聞配達をして家計を助けた。貧しくても科学雑誌や少年雑誌は買ってもらえた。鉄腕アトムが好きで、漫画家に憧れた。学校では、作文や絵を褒められ、小説家も夢見た。そんな環境が今の自分の土台をつくってくれた。

 中学では図書委員長になった。新しく本が入ると真っ先に読むのが楽しみだった。授業中に漫画を描いていたのがばれて、取り上げられたことも。面白かったのか、先生が回し読みをしていた。

 中学卒業後、浪人し、1年遅れで高校へ進もうとした。しかし、アルバイト先の工場長に見込まれて、本社のある広島で働くことに。16歳で広島市へ移った。

 広島では国泰寺高の定時制に進学し、教育書籍の営業マンになった。生活優先だったが、夢を忘れたわけではなかった。切り絵作家の故滝平二郎さんに憧れ、独学で切り絵を習得。40歳手前ごろ、3人の子どもの誕生日に切り絵の絵本を作るようになった。

 長男をイメージした少年が鬼から村を守る物語「ももの里」を部下が読み、コンテスト応募を薦めてくれた。1988年、日本の絵本賞(全国学校図書館協議会など主催)の新人部門で佳作に。その絵本は48歳の時、出版された。

 プロになってからの師は児童文学作家の岩崎京子先生。受賞パーティーで出会った。2000年出版の絵本「原爆の火」では、私が絵を、先生には文をお願いした。

 08年に初めて手掛けた長編小説「青の森伝説」で、助言をもらった。魔女に夢を奪われた少年が、老人の助けで夢を取り戻す物語。「いい話だね」。その言葉が自信につながった。もっと自分の思いを強く出した方がいいとも言われ、夢を諦めない気持ちを強く出した。少年に自分を投影していたつもりが、少年の夢を応援する老人の気持ちになっていた。これからも、ひたすらに書き続け、本を通して人々の夢を育んでいきたい。(聞き手は増田咲子)

もうり・まさみち
 本名毛利昌道。1946年台湾で生まれ、父の出身地の熊本県へ引き揚げた。熊本市の中学を卒業し、広島市中区の国泰寺高の定時制へ進学。94年、長男の誕生祝いに作った絵本「ももの里」で作家デビュー。

(2016年3月21日朝刊掲載)

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