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連載・特集

人文学の挑戦 <3> 東南アジア研究 「私的な絆」 役割に注目

 貿易をはじめ日本との交流が加速する東南アジアは、フィリピンやインドネシアなど島しょ国も含み、極めて多彩な歴史や社会、文化を持つ。学術研究上もさまざまなアプローチがなされ、人文学の分野でも蓄積が進む。発見や示唆に富む最新の研究の一端を見る。(道面雅量)

 フィリピンの首都マニラには、郊外に幾つものスラム(貧困層地区)が点在する。首都圏東部のマリキナ市では、川岸一帯に約6千世帯、3万人が居住。広島大大学院国際協力研究科の関恒樹准教授(47)は、貧困の軽減に向け、この地で取り組まれるさまざまなプロジェクトを検証する研究に挑んでいる。

 先月末からも3週間、現地入り。「さかのぼれば、25年前の学生時代にスタディーツアーで初めてここを訪れた」。研究者になってからもほぼ毎年訪問。培った豊富な人脈をたどり、住民への聞き取りを重ねる。

土地所有権持たず

 今回は、住民の土地取得を促すフィリピン政府の施策がどう浸透しているかの調査が主目的だ。スラムの住民の多くは合法的な土地所有権を持たず、地主の意向一つで、住まいの取り壊しや移転を強いられる不安を抱えている。

 政府系金融機関が住民へ低利・長期の融資をし、土地の権利を得てもらった上で、完済を促すのが政策の基本的な仕組み。そしてその成否は、「住民の私的な人間関係が大きく左右する」と関さんは言う。

 不定期の建設労働や露店の行商などに従事し、もともと安定収入の乏しい住民が大半。各種の手続きや月々の返済をやり遂げる上で、親族や知人からの物心両面の支援は欠かせないが、「フィリピン社会は私的な絆が今も極めて強く、機能している」。それもあてこんで政策は進められている。

 海外へ出稼ぎに出た家族や親類からの援助や、地域に現存する親分―子分的な関係が強く影響するという。「親密ゆえに助け合いが成功するケースも、私的流用などを招いて失敗するケースもある」

 関さんは住民への聞き取りで、生計の状況や政策への意見だけでなく、その人を取り巻く人間関係の具体的な把握に努め、プロジェクトの行方を展望する。フィールドワークを通じて人間社会の現象を解明していく、民族誌学(エスノグラフィー)の手法だ。

 「私的な関係を利用した公共施策という、いわば矛盾した要素を併せ持つ政策が、どのような可能性と限界を持つのか。それを明らかにしたい」。関さんの今のテーマという。

唯一でない国家像

 「先進国」日本と、「発展途上国」フィリピン―。そんな構図を前提にすれば、公的福祉の進んだ日本人の目で、途上国の課題を抽出する研究と見えなくもない。しかし、関さんは「実感として違う」と語る。

 家族関係をはじめ私的な絆が現在も強いフィリピンと、公的制度は整っていても私的な絆が弱まった日本とで、「例えば高齢者の幸せはどちらが『進んで』いるか、単純には言えない」。高福祉・高負担形の国家を目標としにくい東南アジアで、私的な絆の果たしてきた役割を、素直に見つめたいとの思いがある。

 「私的な絆が政治の世界でも幅を利かし、汚職や腐敗の温床となってきた側面はある。一方でそれは、貧困層などリスクに直面する人々にとって価値や倫理としての側面も持つ」。現地調査を重ねての実感だ。

 ひるがえって日本では、家族の絆が「昔は強くてよかった」とノスタルジーで語られがちで、それを補いきれない公的制度に対する諦めの嘆息に重ねられることがある。

 しかし、「それこそ、『先進』『途上』を自明とする単線的な近代化論の弊害ではないか。福祉社会、福祉国家の像は唯一ではなく、地域の文脈に立脚したさまざまな可能性がある」と関さん。フィリピンの一地区の人間関係に目を凝らすことで、その可能性が立体的に見えてきた。

 「フィリピンや東南アジアといった枠を超え、今日の世界に求められる社会の構想にもつながっていくはず」。民族誌学を含む人文学的視座の価値を、あらためて感じている。

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インタビュー

広島大大学院文学研究科 太田淳准教授

したたかな民衆の実像

 インドネシア史を研究する広島大大学院文学研究科の太田淳准教授(45)は今年、活躍が期待される若手研究者に贈られる「日本学士院学術奨励賞」を受けた。評価の主な対象となった著書「近世東南アジア世界の変容」(名古屋大学出版会)は、東南アジア研究の面白さが詰まった一冊だ。

  ―この著作で何に光を当てようとしたのでしょうか。
 独立王朝から植民地期へと移行する、18世紀後半から19世紀初めの東南アジアの地域社会の実像に迫った。欧米に屈していく「停滞の時代」とされてきたが、密貿易も含めた経済活動の実態は活発で、グローバルな市場経済に大胆に適応していたことを論じた。今のインドネシア・ジャワ島西部を中心とする特定の地域(バンテン王国領)を対象にした研究だが、東南アジア史を広く見つめ直すきっかけになればと思う。

  ―現地勢力が弱っていたから植民地にされた、という単純な理解に再考を促す内容ですね。
 支配した側のオランダの文献を無批判になぞれば、当時のムスリム王朝は残忍で無能、古代王朝は素晴らしかったのに、となる。植民地支配を正当化する、「本来のジャワを取り戻し、文明の恩恵を与えた」という認識だ。そうした東南アジア像は日本にも影響を与え、残念ながら今も根強い。

 しかし、オランダの視点をなぞるだけでは見えないものがある。例えば当時、ジャワ近海には海賊が横行した。オランダから見れば「国が弱体化し、海上管理もできない地域」という像になるが、海賊は非公式の「商人」でもある。コショウを主要商品とする東南アジアと中国との貿易が飛躍的に拡大した時代の、陰の担い手。経済を担う主体をきちんと見ていくと、違う像が現れてくる。ジャワ語やマレー語、中国語の文献にも当たりながら実証に挑んだ。

  ―オランダに拠点都市を追われた地元有力者が、海上に「亡命政権」をつくるかのように海賊化するさまなど、学術論文なのに躍動感が伝わってきます。
 この時代、地域社会の人々も経済的刺激に敏感になっていた。コショウなどの生産者が自分たちの利益を最大化するために、海賊とも取引する。「国」は衰えても人々はしたたかに、たくましく生き、東南アジアのかなり広い地域で市場経済への適応が進んだ。

  ―現代日本と照らし合わせて言えることがありますか。
 産品や人脈が織り成す地域社会のたくましさを、グローバルな視点で見つめ直すことには意義があると思う。経済成長率など国の視点に立った目標に、人々が進んで同化する必要はないのではないか。そんな発想のヒントになればうれしい。

おおた・あつし
 1971年福岡県生まれ。早稲田大大学院を経てライデン大(オランダ)などで研究し、2012年から現職。「学生時代にタイを一人旅し、現地の人が織る布に魅了されたのが研究の原点」という。今年4月から慶応大准教授に就任予定。

(2016年3月22日朝刊掲載)

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