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連載・特集

70年目の憲法 第3部 分岐点を生きて <1> 民主主義の教育

国復興へ教職員に気概 改正議論の性急さ懸念

 公布から70年の憲法をめぐっては、いくつものターニングポイントがあった。民主主義の憲法に基づく教育の始まりや安保闘争、女性の社会進出、国連平和維持活動(PKO)協力法の成立…。折々の憲法を取り巻く風景を、その時代と向き合った人の思いとともにたどる。

 広島市西区の元小学校教諭藤田雅幸さん(88)は今月上旬、自宅で国会中継に耳を傾けた。安倍晋三首相は自らの在任中の憲法改正に強い意欲を表明した。「急いでますね…」。憲法が誕生し「新教育」が幕を開けた70年前に思いを巡らせる。「当時はどこか光が差し込んだようでした」

 旧文部省は憲法公布の1946年、軍国主義の排除や個性の尊重、民主主義を柱にした新教育指針を打ち出す。翌47年、憲法の理念に沿った教育基本法が施行。藤田さんはその年、新任で草津小(西区)に赴任した。

理念浸透手探り

 戦前教育の大転換に古いタイプの教職員は戸惑っていたという。教育実習先では、校長が民主化には不適格な教師として教職追放されたと聞き、新教育を肌身で感じた。

 敗戦を経て国民が手にした新憲法。「民主主義の経験も知識もない状態」の藤田さんも手探りだった。児童に基本理念を丁寧に教え、国の根幹をなす憲法と歩む決意を説いた。「子どもたちはごく自然に憲法を受け止めていました」。民主主義を浸透させるため、児童会長は選挙で決めた。グループ学習も実践し、多様な意見を尊重しながら課題解決へと導いた。

 藤田さんは戦後、小学4年で両親やきょうだいと渡った韓国から引き揚げた。現地では軍国主義の象徴でもある教育勅語や軍人勅諭を暗記し「国のため」と軍事教練に励んだ。民主主義と対極の教育を受けただけに「時代の流れに追い付くのに必死だった」。若手の教諭を中心に指導計画を作り、教育雑誌で先進事例を学んだ。「教職員に気概があった。国の復興を担う子どもを育てるんだと」

失われゆく重み

 改正をめぐる議論がにぎやかな昨今。憲法を最高法規として日本が前を向いた当時と比べ、憲法の重みが失われているように感じるという。

 旧文部省が47年に発行した「あたらしい憲法のはなし」。その挿絵は太陽を憲法に模し、権利の上で国民が歓迎する様子を描く。そして「この憲法を守って、日本の国が栄えるようにしてゆこう」と結ぶ。48年の「民主主義」は戦前の国家主義を批判。民主主義の理念が映る憲法への敬意がにじんでいた。

 藤田さんは原点の地でもある草津小の校門前に立ち、「いい憲法だと思いますよ」と校舎を見やった。改正を否定するつもりはない。ただ「あの時」を知る一人として、憲法は簡単に変えていい存在ではないと思う。(胡子洋)

(2016年3月23日朝刊掲載)

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