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連載・特集

『生きて』 マツノ書店店主 松村久さん(1933年~) <6> マツノ読書会

若者向け 年25万冊貸す

  広島大在籍4年目に、父の書店の半分を使って開業した「マツノ読書会」。当時としては珍しい、若者に焦点を合わせた貸本屋だった
 全国ではやっていたのは子ども向けの貸本屋で、店に並ぶのは漫画ばかり。うちは徳山駅のすぐ北に店を構えていたから、利用者の大部分は学生や会社員だった。じゃから漫画だけでなく、ベストセラーとか文学賞受賞作を置いた。井上靖や松本清張とかね。

  大学卒業後、貸本屋の営業に本腰を入れた。顧客と交流も深めた
 「朝刊の広告で見た本を夕方借りることのできる店」をモットーに、人気作家の新作は1点で20冊以上も仕入れていた。だいたいは定価の1割で貸していた。やがて漫画は一切置かなくなった。

 26歳の時、読書会を店の2階で始めた。そのころ愛読していた「徒然草」からとって「つれづれの会」と名前を付けた。皆で集まって同じ本を読んで感想を話し合う。自分もそういうのが好きだったしね。店の機関紙を1962年から10年間、月1、2回発行した。前月の貸し出しランキングや、お客さんから募集した詩、映画館の上映スケジュールなんかまで載せて大変好評だった。

 68年に、今の店舗である周南市銀座に移った。貸本屋はそのころが最盛期で、夕方はお客さんが店内で擦れ違うことができないほどのにぎわいだった。7割は女性客。1日に700冊、月で2万冊、年間では25万冊を貸し出した。人口が10万人規模の徳山でね。貸本業界や図書館の関係者なんかも視察に来て、全国から注目された。

  30歳で、常連客だった京子さんと結婚した
 家内はうちをよく利用していた徳山高の生徒の一人で、本が好きな人だった。いい感じの子だなとは思っていたけれど、特に声を掛けることはなかった。彼女が高校を卒業後、市内で就職してから、たまたま近所の人から見合いの話があって紹介された。年は八つ下。結婚以来、今も毎日一緒に店で仕事しよる。1男2女の子宝にも恵まれた。彼女は字がすごくきれい。事務作業も得意でね。私の欠点を全て補ってくれている。ありがたいことです。

(2016年3月24日朝刊掲載)

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