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連載・特集

70年目の憲法 第3部 分岐点を生きて <3> 女性の社会進出

均等法で理想論脱す あきらめの意識も変革

 憲法がうたう「両性の平等」は労働現場で長く理想論だった。広島県で女性初のハローワーク所長を務めた天部テルミさん(74)=広島市西区=は県職業安定課に入った1960年当時を思い返す。多くの女性は結婚や出産を機に退職し、企業の多くは定年や昇進に男女差を設けていた。その後の天部さんの歩みは、性差是正の流れと重なる。

「目線上げ働く」

 憲法公布から40年後の86年、男女雇用機会均等法が施行。憲法の理念を具体化し、社内教育や解雇をめぐる女性差別を禁じた。ハローワークで結婚や妊娠で解雇された女性の声を多く聞いていた天部さん。「『しょうがない…』で終わらせなくていいんだ」。法の後ろ盾が心強かったという。

 自身も「女性は男性の一歩後ろ」との価値観が染み付いていた。転機は89年、女性の自立と社会参加を目指す「ひろしま女性大学」への参加。仲間の刺激を受け「伏し目がちでなく、目線を上げて働こう。所長を目指そう」と決めた。当時48歳。「スカートをはいた上司にやっと慣れ」。世間ではそんなサラリーマン川柳がはやっていた。

 90年、セクハラによる損害賠償請求を認める初の地裁判決が出た。放射線影響研究所(広島市)の定年の男女差を無効とする最高裁判決も。均等法も改正が続き、内容は充実した。天部さんは53歳で大竹ハローワークの所長に。2002年の定年まで尾道などで所長を務めた。

初代リーダーに

 産休や育休制度に加え、育休明けの復帰支援、時短勤務…。今では働く女性の支援体制を充実させる企業は多い。しかしイズミ(広島市)のゆめタウン江田島店長の長久直子さん(45)は「自分は管理職なんて無理と考える女性はまだまだ多い」と言う。

 長久さんは93年に入社。各地の店舗で衣料や食品の売り場責任者を担い、2011年に五日市店の店長になった。当時、同社運営の店舗で女性店長は1人だった。江田島店に異動する前の14年、女性管理職を増やす同社のプロジェクトの初代リーダーを担った。

 若い女性社員向けに管理職と話す機会を設け、マネジメントや組織運営の研修も企画。管理職の長時間労働の是正も進めた。「『女性にはできない』という思い込みをなくすための地道な種まき」と説明する。

 現在、同社の店舗全103店のうち女性の店長は3人。うち1人は30代の若手だ。「男女ともやりがいを持って働き続けるステージを目指したい」。一人一人の奮闘が憲法の理想へと近づける。(久保友美恵)

(2016年3月25日朝刊掲載)

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