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連載・特集

緑地帯 「原爆の図」の旅 岡村幸宣 <2>

 1995年、米ワシントンの国立スミソニアン航空宇宙博物館で企画された「原爆展」は、退役軍人会の猛反発を受けた。被爆資料の展示が中止に追い込まれ、館長は職を辞した。その時、代わりに展示をしたのが2015年夏の展覧会場となったアメリカン大だった。「原爆の図」とともに被爆資料が展示された今回の企画も、もちろん退役軍人の反応は心配だった。実際、「嘘まみれの展覧会をして恥ずかしくないのか」という抗議の電話も数件あったという。

 しかし、観客の反応は上々だった。「原爆の図」の前で涙を流す若い女性の姿もあった。「こうした絵を米国で見られることを誇りに思う」と語る市民もいた。炎に包まれた赤ん坊の絵の前で、子どもに丁寧に説明する母親もいた。

 中東からの移民の画家は「米国にユダヤ人のホロコースト博物館はあっても、原爆博物館がないのはなぜだ」、アフリカ系の男性は「先祖の苦難の歴史を連想する」と話した。多民族社会の米国では、観客の反応も決して一括(くく)りにできないと実感した。

 次に巡回したボストン大では、30代のギャラリー責任者が「これだけ世界の距離が縮まっているのに、自国の考えだけにこだわるなんてできないよね」と朗らかに笑った。若い世代は屈託がない。それは希望でもあるが、別の見方をすれば、当事者性が薄れつつあることの証しなのかもしれなかった。強く反発する老人と、素直に受け止める若者。どちらがより原爆を自分の問題として捉えているのか、簡単には比べられない。(原爆の図丸木美術館学芸員=埼玉県)

(2016年3月25日朝刊掲載)

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