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連載・特集

『生きて』 マツノ書店店主 松村久さん(1933年~) <9> 宮本常一との出会い

「良い本だけ」 教え守る

  山口県周防大島町出身の民俗学者宮本常一との出会いは1975年。19点目の出版となった「明治大正長州北浦風俗絵巻」の監修を依頼したことがきっかけだった
 小西常七さんという山口県豊北町(現下関市)の漁師が描いた明治、大正時代の漁業や生活の様子の絵をまとめて出版しようと考えた。宮本先生とは全く面識がなかったんじゃけども、監修をお願いしてみようと絵の写真を送ってみた。「ぜひ引き受けたい」と返事をいただき、一緒に1泊2日で小西さんを訪ねた。

 先生は300枚近い絵の一枚一枚について聞き取りをされ、その姿を隣でずっと見ていた。柔らかい物腰と的を射た質問に、古老は次々と昔の記憶をよみがえらせた。宿で夜遅くまで絵の分類をし、翌朝も聞き取りをされた後、九州の離島に向かわれた。数週間後、200枚以上分の解説原稿が届き、先生の旅と仕事ぶりに圧倒されました。

  宮本は良き相談相手となり、出版物の解説や推薦文を引き受けた。交流は宮本が他界する直前まで続いた
 山口県へお帰りになるときは、よく私の家に泊まられた。街へ飲みに出るよりも、家内の飯を食ってゆっくりするのが好きだった。翌朝、愛車のビートルで目的地まで送迎するのが私の役目。慎重な運転を気に入っていたそうです。

 車中では、訪れた土地土地のことを聞かせてくれた。政治の話題もあった。今思えば、ためになることばかりで録音しておけばよかった。夢みたいな話ですよね。

  宮本の追悼文集「宮本常一―同時代の証言」を2004年に復刻した
 亡くなられた81年にお弟子さんが出版し、私も寄稿させてもらった。さまざまな方面の方が先生との思い出をつづった良書で、よく売れて品薄になった。それで23年後の命日に合わせて復刻したんです。同時に雑誌の追悼特集や新聞記事などを収めた続編も作りました。

 先生は、会うと口癖のように「決して急がず、良い本だけを出すように」「良くない原稿を断るときは、いつでも私が悪者になってあげます」とおっしゃられた。今までずっとその教えを守り、自分の納得したものだけを出版しています。

(2016年3月29日朝刊掲載)

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