×

社説・コラム

『記者縦横』 猿猴橋が紡ぐ人の物語

■東京支社・藤村潤平

 つくづく人を引き寄せる不思議な橋だと思う。3月28日、90年前の華麗な姿を取り戻した広島市南区の猿猴橋。大勢が詰めかけた渡り初めの中に、東京都世田谷区の主婦石村淑江さん(52)もいた。

 石村さんは、父親が猿猴橋南詰めの的場町出身。乳がんで闘病していた3年前、亡き父の古里にある橋の復元活動をインターネットで知った。関東で生まれ育ち、広島とのなじみは薄かったが、苦しい抗がん剤治療の中で「いつか猿猴橋をじかに見たい」と自らを奮い立たせてきた。

 回復後の昨年8月下旬、初めて現地を訪れ、住民グループ「猿猴橋復元の会」のメンバーと知り合った。「会ってほしい人がおるんじゃが…」。住民から東京支社の私に電話があったのはその頃だ。復元の会が結成された2008年から、東京へ転勤する13年まで取材していた縁があった。

 石村さんはすぐに支社を訪ねてきた。猿猴橋への愛を熱く語り、私を質問攻めにした。そして「渡り初めにも行きます」と宣言した。式典の翌日にメールをすると、タカが羽を広げた親柱を背に、着物姿でほほ笑む写真が送られてきた。

 復元活動を追い続ける中で、石村さんをはじめ、猿猴橋に魅せられた多くの人との出会いがあった。思えば、周囲から「本当に実現するのか」と半ばあきれられながら取材していた私も、橋に引き寄せられた一人だった。生まれ変わった猿猴橋。また新たな物語を紡いでくれるだろう。

(2016年4月1日朝刊掲載)

年別アーカイブ