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社説・コラム

『書評』 鮎川義介 堀雅昭著 産業の理想郷を求めて

 明治の世に、旧長州藩士の息子として生まれた鮎川義介(よしすけ)。後に首相となる岸信介らと並んで「満州国」の政財界に君臨した企業家だが「満州の二キ三スケ(東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸、鮎川)」とひとくくりには到底できまい。

 宇部市在住の著者は3年前、「井上馨―開明的ナショナリズム」を著し、その調査段階から鮎川の影がちらつくのに気付く。鮎川は井上とは浅からぬ縁がありながら、井上流の財閥ではなく、財閥を超えて多くの株主が企業を支える「産業ユートピア」の手法を取った。その象徴が戦前の日本産業(日産)コンツェルンであり満州重工業開発(満業)である。

 企業家たる鮎川の真骨頂は経営を市場にオープンにすることにある。満業時代は労働力としてのユダヤ人とユダヤ資本の導入を企図した。旧ソ連が米フォード社と提携しているのを視察し、日本の出遅れにいらだってもいた。ユートピアを目指したリアリズムの人だという印象を受ける。

 鮎川が日米開戦回避の工作に奔走していたことは本書で知った。「米資の満洲国導入は東洋平和の鍵」という考えで米側と接触したが、大統領ルーズベルトとの面会はかなわず、もし私が外相になっていれば、と後年回想している。時の外相は皮肉にも同じ「二キ三スケ」の松岡だった。

 敗戦後は巣鴨の獄中で戦後復興プランをしたためた。中小企業の振興、道路網の整備、水力発電による電力開発・ダム建設の三つが柱で「巣鴨大学の卒業論文」とも回想している。

 鮎川の気概は戦後も存分に発揮される。日米原子力協定に基づく原発推進政策には「水力はまだ1割しか使っていない」と異を唱え、朝鮮戦争の折にマッカーサーから警察予備隊(後の自衛隊)結成を日本が指示されると、敗戦国に対して理不尽だと批判した。

 鮎川は中間層を底上げし高度経済成長というユートピア社会の実現に寄与したことになるかもしれない。老いる日本、格差が広がる日本を知れば何を思う。(佐田尾信作・論説主幹)

弦書房・2376円

(2016年4月3日朝刊掲載)

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