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[広島外相会合] 7ヵ国に届け この痛み 被爆前のわが家しのび涙 旧中島地区元住民2人「消えた町」知って

 広島市中区の平和記念公園にあった旧中島地区の元住民2人が、10、11日に同市である外相会合を前に現地を訪れた。被爆前の町並みの遺構が、市の発掘調査で相次ぎ出土している。原爆を投下した米国をはじめ、7カ国の外相が11日にそろって訪れることが決まった同公園。2人は「外相たちは原爆で町が消し去られた事実を自らの目で見てほしい」と願う。(水川恭輔)

 「1階がお風呂で、2階に住んでいました。近所に米穀店や石材店もあったの」。篠崎栄子さん(79)=安佐南区=は3月31日、原爆資料館本館の階段踊り場から敷地内の発掘現場を見ると、思い出があふれ出た。家族で営んでいた銭湯「菊の湯」は旧材木町の一角、ちょうど本館の階段がある辺りにあった。

 自宅で被爆した父福原良四郎さん=当時(59)、長姉タミエさん=同(22)、次の姉幹枝さん=同(20)=たち家族5人が死亡。篠崎さんは国民学校3年で県北に疎開していて免れた。遺骨は父親しか見つからなかった。「写真もほとんど残っておらず、父の顔もはっきりとは思い出せなくて…。記憶すら奪われたんです」と目頭をぬらした。

 近所には、木村正恵さん(77)=安佐南区=の実家の理髪店もあり、そこで母の広本敏枝さん=当時(27)、妹和子さん=同(2)、祖父正太郎さん=同(56)=が亡くなった。木村さんは「妹の遺体だけは骨まで焼けきっていませんでした。母が抱きかかえ、守ったんだと思います」。前日に疎開先の祇園町長束(現安佐南区)でともにした夕飯が、3人との別れになった。

 市の委託で昨年11月から発掘作業に当たる市文化財団によると、菊の湯跡付近では風呂の一部とみられるタイルや倉庫の遺構が、理髪店跡付近では床や排水口が見つかった。市は先月25日、作業を中断。外相会合を念頭に、「見栄えを整える」として現場を周囲から見えにくくした。

 2人は今回、中国新聞の求めに応じて現地を訪ねた。「発掘現場を見られなくても、かつて公園一帯にあった人の営みが奪われた事実を必ず伝えてほしい」と木村さん。篠崎さんも言葉を重ねた。「原爆は町のみんなの幸せを奪った。『二度と繰り返してはいけない』と外相に実感してもらいたい」

(2016年4月3日朝刊掲載)

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