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ヒロシマからフクシマへ 被爆地経験 整理し生かせ 援護策の成果・課題 参考に

福島第1原発事故から1年。この間に福島で起きたことは、被爆地広島、長崎の経験と重なる。放射線の健康被害におびえる人々。風評被害や偏見も起きた。そして政府が差し伸べる手は冷たい。全国からの人道支援は続く。ヒロシマはそれに併せ、被爆者が経験し、得たものと得られなかったものを体系的に整理し、提供することが求められている。(下久保聖司)

 政府は巨費を投じ、原発周辺地域で除染作業を進めている。住民への避難指示も、4月には一部解除する方針だ。放射線が人体に与える影響が明確になっているとはいえない現状なのに、住民帰還の旗を振る。

 原発20キロ圏の警戒区域に接する福島県広野町。町職員の小松和真さん(43)は家族を避難先に残し、単身で自宅に戻ることを決めた。「町民に帰還を呼び掛ける立場だけれど、家族の健康影響を考えると…」。苦しい胸の内を明かす。

 この1年でヒロシマ、ナガサキを強く意識する福島県民が増えた。67年前から被爆地が経験したのと同じ現象が、自分たちの身の回りで起きつつあると感じるからだ。

 被爆者に対し、国は「原爆症」認定申請を次々と却下した。長期にわたる裁判や訴えで、少しずつ制度が整ってきたという経緯がある。原爆投下直後に降った黒い雨についてもいまだに降雨地域が地元と国で認識が違う。

 昨年12月、野田佳彦首相は「事故収束宣言」をした。福島県民は猛烈に反発した。国や東京電力は事故直後、情報操作やデータ隠蔽(いんぺい)を繰り返した。だから、誰も信じていない。中国新聞が原発事故後に定期的に取材している「浜通りの50人」の1年調査の結果でもそれは明白だ。

 福島の場合、東電が賠償に当たることが決まっている。だが、それでは解決できない問題もある。

 福島県伊達市。特産の果樹栽培が危機的状況だ。雪をかぶった柿の木に高圧洗浄機のノズルを当てる農家がいた。佐藤勇男さん(63)。放射性物質がたまった樹皮を水圧ではぎ落とす作業中だった。

 干し柿は放射能が濃縮されるという理由で、昨年は市全域で生産を自粛した。これについてはほぼ全額が賠償される。「今年こそは」と話す佐藤さん。しかしその言葉には、あまり力がない。

 「どんなに国の基準値をクリアしても、風評被害が続く限りは販売は無理だろう」。ため息がこぼれる。福島県産の農作物が売れない。佐藤さんの娘婿は原発事故前、後継者になることを承諾していた。しかしこの現実を前に、サラリーマンに戻った。フクシマのあえぎは続く。

 「被爆者援護法とその課題などを参考に、支援策を充実させたい」。大熊町に自宅のある大賀あや子さん(39)はいう。被爆地の蓄積を行政面でも生かそうと考えている。被爆者健康手帳などの制度について、広島県被団協を訪れて聞いた人もいる。

 国による援護策を導き出した経緯と課題。そして放射線被曝(ひばく)が人体に与える影響として解明できたことと、未解明な点…。やはり国内外からの人道支援を受けて「復興」を果たしたヒロシマの責務として、これらをいま一度整理したい。それをフクシマに生かす。そんな取り組みが今、必要ではないか。

(2012年3月11日朝刊掲載)

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