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広島の100歳「戦争ハむごい」 有本さん 市民団体に体験記 身重の体 満州から逃げる

 市民団体「広島県の男女共同参画をすすめる会」が県内の女性から戦争体験記を募り、広島市中区の有本よし江さん(100)が直筆の手記を寄せた。終戦間際に身重の体で満州(現中国東北部)から避難した際の苦労を生々しくつづっている。(永山啓一)

 「戦争ハむごい」と題した手記は400字詰め原稿用紙5枚。筆ペンでしたためている。同市佐伯区湯来町生まれの有本さんは24歳で夫と満州に移住。ソ連との国境にあった東安省(現黒竜江省)で関東軍向けの食堂を営んでいたが1945年8月、ソ連軍進攻の情報を関東軍関係者から聞き、慌てて逃げた様子を書き残した。

 有本さんは2人の娘を早くになくしたが、当時は妊娠9カ月。「じゃがいも畑の暗い中を鉄砲の弾の音も聞きながら転びながら歩いた」と記す。同じ臨月の知人が逃亡中、母子ともに命を落としたと知り「いずれ私もと思い、深々とお参り」した記憶をつづった。避難先のハルビンの小学校で感染症が流行し、年少者が次々と亡くなる姿も目の当たりにした。

 終戦直後の9月、ハルビンの小学校の教室で三女石橋勝子さん(70)=広島市南区=が生まれた。一時、ソ連軍に拘束されていた夫と瀋陽(遼寧省)で再会し、46年8月に3人で帰国。戦後は原爆で焼け野原だった八丁堀(現中区)で野菜を売り、生計を支えた。

 有本さんの手記を収録した冊子はことし3月に完成した。戦後70年の昨年、自身の体験を伝えようと筆を執った有本さんは「ほんまにいろんな目に遭ったんです。孫やひ孫に冊子を配りたい」と話す。石橋さんも「自分の記憶にないことばかり。母の経験を後世に引き継ぎたい」という。

 冊子「被爆70年、戦後70年記念誌―昭和20年(1945年)の私」はA4判、49ページ。42人の女性が自身や親の戦争体験をつづる。同会が500円で希望者に販売する。井上佐智子会長Tel090(9463)0338。

(2016年4月7日朝刊掲載)

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