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連載・特集

広島外相会合 4月10・11日 ヒロシマを伝えたい 学徒証言/遺品/健康被害

 1945年8月6日、米軍により、世界で初めて人間の頭上に核兵器を投下されたヒロシマ。近年、国際的な関心が高まる非人道的な戦争被害の証人である。45年末までに13万~15万人が死亡。軍事施設ではなく、都市の中心部に照準を定められ、営みが消えた。戦時下に動員されていたあまたの子どもたちの未来が奪われた。一命を取り留め、生き残った被爆者は、71年後の今も放射線による健康影響に苦しんでいる。

学徒証言

語り続ける。亡くなった妹や級友のために

 将来空高く羽ばたこうとした夢も空(むな)しく―。原爆ドーム(広島市中区)の南側に立つ動員学徒慰霊塔は、原爆死した少年少女の無念を碑文に刻む。原爆資料館(同)の調査では、学徒の犠牲者数は48校計7196人に及んだ。

 寺前妙子さん(85)=安佐南区=は毎月6日、慰霊塔の清掃と献花に欠かさず訪れる。県立第一高等女学校(現皆実高)の1年だった、妹の中前恵美子さん=当時(13)=を亡くした。「従軍看護婦を目指すまじめな子でした。学徒は皆、お国のためと信じ懸命に生きていたのに…」。自らも動員先で被爆し、左目を失った。

 45年8月6日朝。進徳高等女学校(現進徳女子高)3年だった寺前さんは、下中町(現中区袋町)の広島中央電話局へと交換業務に出た。爆心地から南東540メートル。「ピカーッと光った後に意識を失い、気が付くと『助けて』の声が響いていました」。階段は学徒たちが折り重なって倒れていたため2階から飛び降り、火炎に包まれた街を逃げた。

 避難の末、広島湾に浮かぶ金輪島(現南区)の救護所に収容。血まみれの顔に包帯を巻かれ、家族を待った。両目は覆われていたが、多くの学徒が「お母さん」「お父さん」と助けを求めて、やがて息を引き取るのが耳で分かった。

 妹の恵美子さんも、そうだったという。防火帯を造る建物疎開の作業に動員され、爆心地から約800メートルの小網町(現中区)一帯で被爆。己斐国民学校(現己斐小)に逃げた。「お父ちゃん、ここよ」。7日、捜し当てた父親に、顔が腫れ目も開けられない姿で呼び掛け、その日のうちに逝った。

 恵美子さんを含め、動員されていた県女1年223人は全滅した。南竹屋町(現中区)にあった進徳高女も電話局や校庭などで405人が亡くなった。

 「顔にひどい傷が残り、私も原爆で死ねばよかったと思ったんです。でも、生き残ったからには妹や級友のために語らねば、と」。寺前さんは県動員学徒等犠牲者の会の結成にかかわり、会で67年に慰霊塔を建てた。病に次々に襲われても、学生たちへの被爆証言を30年以上続けてきた。

 「亡き学徒は、今の子どもが自分たちと同じような犠牲に遭わないようにと訴え続けていると思います」。外相らに、その声が届くよう願う。

遺品

命の重みや遺族の悲しみ、胸に迫る

 原爆資料館に常設展示されている学徒の遺品は、命の重み、残された家族の悲しみを無言で伝える。

 県女1年だった大下靖子(のぶこ)さん=当時(13)=の夏服は、壊滅した市中心部の模型のそばに並ぶ。自分で縫い、あの日、着ていた。小網町(現中区)一帯の建物疎開の作業現場で被爆し、救援隊によって大竹市の両親のもとに運ばれたが、夜に亡くなった。生前の日記には「學(がく)業に勵(はげ)まふと決心しました(45年4月6日)」「先生になりたいと今では思っております(同6月26日)」。

 広島二中(現観音高)の1年だった折免滋さん=当時(13)=の弁当箱は、母のシゲコさん(96年に88歳で死去)が62年に寄贈。黒焦げになったおかずは、戦地に赴いた父親と兄に代わり、滋さんが耕した畑で収穫した作物が材料だった。

 二中の慰霊碑は、建物疎開作業で集まっていた1年生が全滅した、今の広島国際会議場西側の本川河岸に立つ。1年生は323人の名前が刻まれている。

健康被害

放射線は、今も心身を痛めつける

 核兵器の非人道性の象徴が、放射線による生涯にわたる健康被害だ。被曝(ひばく)線量が多いほど各種のがん発症率は高いことが分かっている。あの日の熱線、爆風から生き延びた被爆者の心身を今も痛めつける。

 被爆者のがんが増える時期は臓器で異なる。血液のがんとされる白血病は、広島では被爆2年後の47年に増加傾向が指摘され、52年にピークに。発生率は一般人の4~5倍、小児に限れば数十倍。平和記念公園の「原爆の子の像」のモデル、佐々木禎子さん(爆心地から約1・7キロで被爆)も白血病になり、被爆10年後、12歳で命を奪われた。

 白血病の過剰なリスクが低下すると、臓器の「固形がん」が増加。おおむね65年から乳がん、肺がん、75年から胃がん、結腸がん、80年代から皮膚がん、髄膜腫が増えた。

 95年ごろからは、白血病に移行しやすい骨髄異形成症候群(MDS)が増加。長崎の近距離被爆者の調査では一般の3~4倍。近年、被爆者の疫学研究で心筋梗塞などの血管病も増えているが、がんに比べメカニズムが不明の点が多い。

 広島の半径500メートル圏内の被爆者の追跡調査では、多くが複数の臓器にがんが発生する「多重がん」を患っていた。これらの研究をリードしてきた鎌田七男・広島大名誉教授と朝長万左男・長崎原爆病院名誉院長らが2013年度にまとめた外務省の委託研究の報告書はこう結論付ける。「核兵器の爆発はいかなる状況においても耐えられない非人道的結末をもたらす」

この特集は、田中美千子、水川恭輔、栾暁雨が担当しました。

(2016年4月7日朝刊掲載)

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