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[広島外相会合] 85年の訪問要請 ケリー氏が返信 元原爆資料館長から手紙

「いかなる人も核の悲劇こうむるべきでない」

 広島市で10、11両日にある外相会合に出席する米国のケリー国務長官が1985年、原爆資料館(中区)の元館長で被爆者、高橋昭博さん(2011年に80歳で死去)からの広島訪問を求める手紙に返信していた。「再び、いかなる人も、核爆弾の悲劇をこうむるべきではありません」とつづる。31年を経て訪問が実現し、妻史絵さん(79)=西区=は「被爆の実態を見て、核兵器廃絶へ力を尽くして」と願う。

 ケリー氏はベトナム戦争から帰還後、反戦運動家として知られ、84年に上院議員に初当選した。史絵さんによると、活動に共感した高橋さんが翌85年1月、被爆体験を記し、広島訪問を呼び掛ける手紙を送付。3月にケリー氏から署名入りの書簡が届いたという。

 「あなたの手紙は感動的で、誰もが忘れるべきではないメッセージを持っています。そのメッセージは単純です。決して、再びいかなる人も、核爆弾の悲劇をこうむるべきではありません。他の人が証言を読むことができるよう、米連邦議会議事録にあなたの言葉を収録します」

 書簡は史絵さんが13年ごろ、自宅で遺品を整理していた際に見つけた。「当時、返信に2人で驚いたのを覚えている。夫は『思いが通じた』と心強く感じたのでは」。その後、原爆資料館に寄贈した。

 高橋さんは14歳の時に被爆。市職員となり、79年から4年間、原爆資料館長を務めた。ケリー氏へは返信を受け取った後もたびたび書簡を送り、87年に米国が核実験をした時には懸念を伝えた。04年には大統領選の民主党候補に指名されたケリー氏を激励し、選挙陣営から返信が届いた。

 史絵さんも14年12月、ケリー氏に手紙を書いた。オバマ米大統領とともに広島を訪れるよう求め、「核兵器のない世界の必要性を認識するよう願う。それが夫の遺志です」と記した。返信はまだない。

 ケリー氏は原爆投下国の現職国務長官として初めて被爆地を訪れる。11日、他の外相とともに原爆慰霊碑に献花し、原爆資料館を見学する。史絵さんは言う。「夫の30年越しの思いが少しでも届いていればうれしい」(長久豪佑)

(2016年4月8日朝刊掲載)

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