×

連載・特集

緑地帯 「原爆の図」の旅 岡村幸宣 <1>

 「原爆の図」の前で、白髪の老人が崩れるように座り込んだ。その体が画面に触れそうになったので、思わず手を伸ばして彼を支えた。被爆70年目の2015年夏。丸木位里・丸木俊(赤松俊子)の共同制作「原爆の図」は海を渡った。米国の首都ワシントン郊外、アメリカン大美術館の展覧会初日。被爆した米兵の死を描いた第13部「米兵捕虜の死」の前での、小さな「事件」だった。

 彼の帽子には「WORLD WAR Ⅱ」の刺しゅうが輝いていた。原爆を載せた爆撃機が飛び立ったテニアン島で通信兵をしていたという、94歳の退役軍人。すぐに日本のメディアが取り囲み、原爆投下の是非を問うた。彼はいら立ちを隠さず、「私たちもこの絵のようになるかもしれなかったんだぞ。日本は中国で何をした?」と強い口調で応酬した。閉館間際の美術館、時計の針は夜9時に迫ろうとしていた。

 翌朝、意外にも老人は再び、美術館に姿を見せた。「見るに値しない」と感じたなら、わざわざ2度も来ないだろう。彼はゆっくりと歩みを進め、前夜と違って人影の少ない静かな会場で、声を掛けるのがためらわれるほど、じっと画面に向き合っていた。

 米国では今も、70年前の原爆投下を「正しかった」と考える人が多い。きっと老人もそう信じて生きてきたのだ。ならば、この真剣な後ろ姿はどう受け止めればいいのだろう。芸術のもたらす想像力は、彼の歴史への視線を乱反射させたのだろうか。(おかむら・ゆきのり 原爆の図丸木美術館学芸員=埼玉県)

(2016年3月24日朝刊掲載)

年別アーカイブ