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社説・コラム

『論』 ライフスタイル再考 成長よりも「縮充」こそ

■論説委員・石丸賢

 電力小売りの全面自由化で始まったPR合戦に、違和感を拭えない。銘柄が一つしかなかった商品に新手が現れました、今がお買い得ですよとでも、あおられているような気になるからだ。

 消費者として頭をめぐらせるべき勘所は、恐らくそこではない。

 省エネ性能は日進月歩である。冷蔵庫は10年前の3割足らずの電気で動き、液晶テレビは7年前より6割ほど効率がよくなったという。街角を走るエコカーも当たり前の風景になった。企業努力のたまものといえよう。

 では、地球環境への負荷は減ったかといえば、逆だ。エネルギー白書によれば、家庭でのエネルギー消費は東日本大震災以降やや陰りを見せるものの、2013年度の消費量は40年前の2倍と高止まりしている。その半分は電気だ。どういうことだろう。

 エコ製品なんだからもう1台とエアコンを買い足したり、大型テレビに買い替えたり。よせばいいのに政府は、家電のエコポイント制度やエコカー補助金でお墨付きまで与えてしまった。おまけに世帯数は増え続けている。

 「省エネ」や「エコ」が消費をあおる免罪符となっていないか。風力、太陽光育ちの電気だからといって使い放題は許されまい。

 世界中の人々が日本人と同じような暮らしをすれば、地球が2・4個も必要になるという試算もある。私たちの消費生活は、すでに度を越しているのだ。

 1個しかない地球。限りあるその資源をいただきつつ、できれば子や孫に利子をもたらす形で持続できる未来を切り開くほかない。冒頭に話を戻せば、なるべく電力に依存しなくて済むライフスタイルを見いだす必要がある。

 かといって自給自足だ、田園回帰だと突っ走るのは、とっぴすぎよう。またぞろ節電というのも芸がない。第一、我慢は楽しくないし、息切れするのが落ちだ。

 ぴんとくるシンポジウムを先月、三重県志摩市で聞いた。うたい文句は「厳しくなる地球環境制約の中で、わくわくドキドキ心豊かに生きる」。シンポの音頭を取った東北大大学院環境科学研究科によれば、2030年の時点で水や電気はこれだけしか使えないという制約を前提に、楽しいライフスタイルを形にしていく。

 何も、江戸時代に戻ろうというのではない。大量の湯の代わりに泡を使い、体の汚れは超音波で取る「水の要らない風呂」やカタツムリの殻に学んだ「雨でも汚れの落ちる表面素材」…。そんな科学技術を生かし、地球1個分で済む未来を切り開いていく地域づくりの呼び掛けである。

 基調講演に立った一人、石田秀輝東北大名誉教授は2年前に退職後、鹿児島県の沖永良部島に移り住んだ。別名「無電源エアコン」と呼ぶ、温度や湿度の制御に優れた土のタイルを家の壁や天井に張り、太陽光パネルで電力を買うだけの立場からも脱出。ライフスタイルの研究を自ら体現する。

 島内の2町は石田さんの考えに触発され、住民と協働で学習会を重ねている。コウノトリの野生復帰を成し遂げた兵庫県豊岡市も、地域に合うライフスタイルづくりの輪に加わっている。

 志摩市も今回、地方創生の一策として乗り出す方針を明らかにした。人口縮小時代でも充実した人生が送れる地域をつくる気構えから、拡充ならぬ「縮充(しゅくじゅう)」という造語も考えた。

 その地で来月には、主要国首脳会議が開かれる。相も変わらず、国内総生産(GDP)の発展や経済成長ばかりを追い求める議論となるのだろうか。

 「消費社会に支配されていませんか」。南米ウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカさん(80)はおとといまで日本に滞在し、行く先々でそう問い掛けた。あれ買え、これ買えと誘う企業のクモの巣に引っ掛かっていないか、と。

 4年前には、持続可能な開発に向けた国連の会議でこんな演説もしていた。「目の前にある危機は地球環境の危機ではなく、私たちの生き方の危機です」

 生き方、すなわちライフスタイルの危機はカネでは片付かない。

(2016年4月14日朝刊掲載)

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