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中村美代子さんを悼む 伊藤隆弘 原爆への憎しみ原点

 中村美代子さんの訃報に接し、ただただ哀惜の念が募るばかりだ。89年間の御生涯だったが、戦前戦後を通じ、劇団「俳優座」を中心に活動された。つい最近まで舞台に立っておられたように錯覚してしまう、まさに大御所的存在だった。

 初めてお目にかかったのは、1987年の名古屋市での全国高校演劇大会だった。私と同じ審査員の立場で、いろいろお話を伺う機会を得たのである。私が高校演劇で毎年、ヒロシマをテーマに創作活動をしていることに大変関心を示され、以後、常に励ましをいただいた。

 中村さんは95年から、広島の原爆で犠牲となった移動演劇「桜隊」の殉難者を追悼する「桜隊原爆忌の会」会長を務めておられた。中村さんのお話では、築地小劇場を初めて見たのは女学校に入学したときで、モリエール「守銭奴」でのアルパゴン役の丸山定夫の名演に衝撃を受けたという。

 中村さんはこれを契機に新劇に傾倒。卒業後、俳優修業を始められたという。俳優のかがみであり、「新劇の団十郎」と称された名優丸山定夫の命を理不尽に奪った原爆と戦争への憎しみは、今日まで強烈に中村さんを突き動かしていた。

 89年、広島市民劇場例会で上演された俳優座と新人会の提携作品「石棺」は、あのチェルノブイリ原子力発電所事故が題材だった。中村さんは被曝(ひばく)者となった農村の女性を熱演されたが、私は被爆死した丸山さんの幻影を背後に見た気がした。

 公演に際し、中村さんからいくつか小道具を貸してほしいと依頼され、舟入高(広島市中区)の演劇部で手配したが、そのお礼にわざわざ出向いて来られ、演劇部員たちを激励いただいたことを今も忘れない。

 96年の例会での「とりあえずの死」では、敗戦後日本に帰るすべを失った満蒙(まんもう)開拓団の悲劇を描いたものだったが、その中の一人の婦人を演じておられ、その分身の少女に、偶然にも舟入高演劇部出身の劇団員が抜てきされて熱演したが、中村さんに直接お世話になったのは、うれしい限りだった。

 こと舞台に関しては常に厳しく苦言を呈された中村さんも、一方で心の広い、思いやりに満ちたお人柄で、ご自分の新劇人生で培った温かいご助言を忘れることはできない。あらためてご冥福をお祈りしたい。(元舟入高校長・劇作家)

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 中村美代子さんは2月28日死去、89歳。

(2012年3月14日朝刊掲載)

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