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社説・コラム

『言』 クルマの原点回帰 広島でつくる意味問う

◆マツダ主査・山本修弘さん

 「運転する楽しさ」を訴えるマツダのクルマづくりが注目されている。新型のロードスターが「世界・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど最近の新型車が国内外で高い評価を受ける。商品力が業績を引っ張り、リーマン・ショック後の経営危機から復活した形だ。マツダのクルマの何が変わったのか。ロードスターの開発を担当した山本修弘主査(61)に聞いた。(聞き手は論説委員・古川竜彦、写真・山下悟史)

  ―日本のカー・オブ・ザ・イヤーに続く受賞になりました。
 ロードスターは1989年に登場した初代から4代目となる新型まで4度のモデルチェンジを重ね、27年に及ぶ歴史があります。オープンタイプの小型軽量スポーツで、運転する楽しさという価値を一貫して提案してきました。スポーツカーの市場は一般的に小さく、つくり続けるのは簡単ではありません。受賞理由をみると、コンセプトをぶれずに守り、技術者が誇りと情熱を持って本物をつくり込んできた努力や姿勢が認められたと受け止めています。

  ―「運転する楽しさ」を守り続けるのは難しいのですか。
 難しいですね。変えるつもりはなくても、環境や安全など時代が求める規制に対応するため、少しずつクルマが大きく、重くなっていました。3代目は1090キロと、初代と比べ約150キロも重くなっていました。クルマを自由自在に操る楽しさという観点からは、少し外れてしまったのです。新型の開発では「原点回帰」が最大のテーマでした。

  ―どんな手法で回帰をしたのですか。
 乗って気持ち良いとか、エンジンの伸びが良いとか。数値化できない感覚を「一体感」「軽快感」「走り感」「応答感」「開放感」という五つに分けて評価しました。誰もが運転して楽しめるクルマを実現するには、よりコンパクトで軽い車両が不可欠だという結論になりました。重さを「1トン以下」にする目標を掲げ、軽量化に取り組みました。サイズを抑え、エンジンも小さくしています。鋼板より軽いアルミ材料をたくさん使い、一つの部品の無駄をグラム単位でそぎ落としました。シートのスライドレバーを細く短くしたりサンバイザーを薄くしたり。先代に比べ100キロ以上も軽くしています。

  ―最も苦労したことは。
 わくわくするようなデザインに挑んでいます。ただ、つくれなければ何にもなりません。そこで金型やプレス、組み立てなど現場の人たち約200人を集めて、出来上がったばかりのデザインモデルを見せました。匠(たくみ)の知恵と技術でつくってくださいと呼びかけたんです。

 すると、技術者魂で応えてくれました。新型のボンネットや前輪周りは今までならアルミでつくることのできないデザインでした。できない部署に責任を押しつけるのではなく、同じゴールを見ながらチャレンジする。マツダが取り組んできた「ものづくり革新」の成果です。

  ―何が変わったのですか。
 マツダ車を買ってもらう理由がなければ生きていけないことを、みんな嫌というほど分かっているんです。石油ショックからバブル崩壊と続き、米フォード・モーターがやってきてリストラもあった。そしてリーマン・ショックも…。一致団結してマツダを残したい思いが会社を変えたんだと思います。広島に住んでマツダの空気を吸っていれば、自然とチャレンジする心が備わるような気がします。

  ―クルマづくりにとって、広島であることも重要ですか。
 マツダの歴史を考えれば、自然と答えは出ます。広島には、厳島神社に代表される伝統と文化があり、戦前の呉海軍工廠(こうしょう)などで培われた技術もバックボーンになっています。そして原爆の惨禍から復興を果たし、平和を愛する象徴の街です。オープンカーは空気がきれいでなければならず、紛争があったら乗れません。自動車の文化と技術、平和の象徴です。だからマツダが広島でロードスターをつくれるんだと。こじつけかもしれませんが本当にそう思えます。広島の地域の皆さんと一緒につくったクルマだと胸を張りたい。

やまもと・のぶひろ
 高知県土佐清水市生まれ。高知工業高卒。73年に東洋工業(現マツダ)入社。ロータリーエンジンやルマン用4ローターなどの開発を担当。2代目ロードスターの開発にも携わり、3代目ロードスターでは車両開発の副主査。07年から現職。

(2016年4月20日朝刊掲載)

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