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社説・コラム

評論 被爆地と米国大統領 「訪問」すればいいのか

 被爆地広島に、オバマ米大統領は訪れるのか―。5月下旬の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に伴う訪問検討が表明された。広島市での外相会合で原爆慰霊碑に献花したケリー国務長官に続き、さらなる歴史的な訪問を求めるのであれば、被爆地こそが声を上げ論じるべきだろう。人間を大量殺りくした原爆投下の是非であり、核に依存する安全保障からの脱却だ。

 外相会合が11日に発表した「広島宣言」は、核兵器を禁止・廃絶する法的な枠組みづくりを求める国際社会のキーワードとなっている「核兵器の非人道性」を明記しなかった。この訴えは実は日本から起こった。

 「無差別性残虐性を有する本件爆弾を使用するは人類文化に対する罪悪なり/かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す」。原爆が広島に投下された4日後の1945年8月10日、政府はスイスを通じて米国に抗議した。

 投下直後に、トルーマン大統領は「真珠湾攻撃で戦争を始めた日本は多大な報復を受けた」との声明を出した。しかし想像を絶する死者数が分かるに連れ、「原爆が推定一〇〇万にのぼる多くの生命を救った」とする「神話」を広める(ガー・アルペロビッツ著「原爆投下決断の内幕」など)。戦争終結と平和の到来を早めたという投下の正当化論が米国に根付いた。

 そして、日本は米国の「核の傘」に頼る安全保障を続ける。同盟関係を強める2007年、原爆投下について米国に謝罪を求めない旨の答弁を閣議決定。今月1日には「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とまで決定した。

 一方、被爆地でも政府と軌を一にする発言が首長から出る。「核兵器なき世界」を09年に掲げたオバマ大統領の訪問を望むあまり、「謝罪は不要」「私たちは未来志向だ」という。そうした発言が今回、米有力紙に掲載されていた。

 「理不尽に殺された死者を忘れてはならない」。平岡敬・元広島市長(88)は、原爆慰霊碑に刻まれる碑文の「過ちは繰返しませぬから」も問い直す。「誰が過ちを犯したのか。投下は間違いだったと認め、核依存の考えを根底から否定することが『核なき世界』への第一歩だ。無論、日本の過ちにも目を閉ざすべきではない」と強く唱える。

 平和記念公園となった旧中島本町では少なくとも597人が45年末までに死去した。ゆかりの住民慰霊祭を営む福島和男さん(84)=佐伯区=は、ケリー国務長官の来訪に接して、絞り出すようにこう話した。

 「思い出すと今もはらわたが煮えくり返る。恨んでいないかと聞かれれば、捨てきれんもんがあります」。両親と祖父母ら家族6人を「あの日」奪われた。

 投下は「今でも許せない」のか、「やむを得なかった」のか。NHKが広島市で5年ごとに続ける「原爆意識調査」で昨年、前者が43%、後者は44%となった。体験者が減り記憶の継承がきちんと図られていない。加えて、中国や北朝鮮の「脅威」に対して核の力を信奉する風潮が被爆地でも広がってはいないだろうか。

 「原爆は威力として知られたか 人間的悲惨として知られたか」。この痛切な問い掛けを60年代に発した中国新聞の故金井利博氏は、原水爆禁止運動が混迷を深める中、広島を政党宣伝の貸座敷にすることは死者に対する「許しがたい侮辱」でもあると喝破した。

 核超大国の現職大統領がヒロシマで演説をすれば、世界に反響を呼ぶだろう。訪れるのであれば、過去と未来を見据えた核廃絶の具体案を示し、行動するべきだ。来年1月に任期が切れる大統領への「貸座敷」にしてはならない。(特別編集委員・西本雅実)

(2016年4月20日朝刊掲載)

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