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連載・特集

70年目の憲法 第4部 違憲訴訟の問いかけ <5> 条例制定

対暴走族 明確化に腐心

集会の規制 続いた葛藤

 「私は反対だった。憲法に違反するってね」。広島市経済観光局長の久保下雅史さん(58)は切り出した。14年前の市暴走族追放条例を巡る話。条例や規則が法令に抵触しないか審査する法務係長だった。上司に怒鳴られた。「おまえは机上でしか物を考えとらん」

特徴詳しく記す

 当時、市中心部は荒れていた。「胡子大祭」などの祭りや週末に合わせ、暴走族がトッコウ服姿で暴走行為を繰り返す。ひったくりや強盗も。市民が憩う公園などを占拠しては集団で円陣を組んだ。広島県警は暴走族の取り締まりを強めた。ただ「集会」については規制の根拠がなかった。

 「集会規制は社会の要請だった」と久保下さん。しかし憲法が保障する「集会・表現の自由」を侵害しないか―。葛藤した。住民たちが夜回りして帰宅を促す運動を始めるなど暴走族追放の機運の高まりもあり、待ったなしの現状に腹をくくった。

 憲法を意識し、公園など市管理の場での無許可の集会を禁じる方向から攻めた。「対象はあくまで暴走族。それ以外に規制が及ばないよう腐心した」と久保下さん。「特異な服装をし、顔面を覆い隠し、円陣を組み、旗を立てるなど威勢を示す」―。暴走族の特徴や集会の形態を具体的かつ詳細に明記した。

 2002年3月、条例は成立した。一方で条例違反罪に問われた男性=当時(22)=は「条例は違憲」として無罪を主張。最高裁は07年に合憲と判断して有罪が確定したが、裁判官5人のうち2人は「規制の対象者、行為があまりにも広範囲で憲法違反」などとし、憲法との兼ね合いの難しさも浮き彫りとなった。

自由とのはざま

 「正解は何か」。久保下さんは今も自問自答する。県警によると、1999年にピークの44グループ計428人に上った県内の暴走族は今、ゼロという。

 大阪市は1月、特定の人種や民族への憎悪、差別をあおる「ヘイトスピーチ」の抑止条例を全国で初めて制定。市議会では表現の自由を侵害する恐れがあるとして、慎重論も出たが、市には制定を求める約2万2千人分の署名が届いた。

 市人権企画課長の籔中昭二さん(59)は「市としてヘイトスピーチを許さない姿勢を示し、被害を受ける市民の人権を守ることが重要と判断した」と話す。専門家が議論を重ね、「社会排除目的」「脅威を感じさせる」などヘイトスピーチの独自の定義を設けて、規制対象の限定に努めた。

 憲法は人々の人権を支えるとりでだ。条例を制定する側は現実社会の中で自由と規制のはざまで揺れた。そこには憲法の存在の大きさがあった。(胡子洋、久保友美恵)=第4部おわり

広島市暴走族追放条例をめぐる最高裁判決
 2007年9月、「規定の仕方が適切ではなく、文言通りに適用されれば規制対象が広範囲に及ぶ」と条例の問題点を指摘。その上で「暴走行為抑止のための規定が多いなど条例全体の趣旨から、対象は暴走族のほか、同視できる集団に限られる。公衆の平穏を害してきた暴走族の集会を規制する目的も正当。限定的に解釈すれば憲法に違反しない」と判断した。

大阪市のヘイトスピーチ抑止条例
 人種、民族に関わる個人や集団に対して、①社会から排除する②権利や自由を制限する③憎悪や差別、暴力をあおる-目的で、不特定多数に向かい、相当程度に誹謗(ひぼう)中傷したり、脅威を感じさせたりする表現活動をヘイトスピーチと定義。市民から申し立てがあった場合、有識者でつくる審査会が調査。結果を踏まえて市長がヘイトスピーチと認定すれば表現内容の拡散防止の措置を取り、行為者や団体名を公表する。

(2016年4月23日朝刊掲載)

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