×

社説・コラム

天風録 「広島に原爆を『誰が」」

 65年前、京大生たちが京都駅前の百貨店で「原爆展」を開いた。当時の日本は占領下にある。誰が原爆を投下したのか、という表現は控えた。だが、パネルを携え全国を巡った若者たちは先々で求められた。あえて控えた「誰が」を語ってくれ―▲数年前、かつての若者に取材した。たかだか片仮名4文字なのに、弾圧を警戒していた当時。彼は横浜の造船所でやっと「誰が」の答えを口にできた。そのことを聞きたくて、毎日会場に顔を出す労働者もいたという▲原爆を投下した国の大統領、オバマ氏による広島演説の公算が大きくなった。前向きに受け止めたいが、貴国の演出に何もかもお任せ、とはいくまい▲先ごろ訪れた国務長官は慰霊碑前でこうべを垂れず、原爆資料館内では表情さえカメラにさらすことなく、立ち去った。「謝罪外交」ではないというサインだろうが、人としてどうなのか。そんなわだかまりが解けぬ▲「核兵器なき世界」という大統領の崇高な理念には賛同できる。ただ、無辜(むこ)の民の住む街を自国の核兵器で攻撃した過去を、どのようにお考えだろう。そのことを聞きたくて、被爆者や市民は演説会場に足を運びたいと思うに違いない。

(2016年4月24日朝刊掲載)

年別アーカイブ