『言』 戦争の捉え方 「本能」説 再考すべきだ
16年4月27日
◆中尾央・山口大国際総合科学部助教
広島を訪問する見通しとなったオバマ米大統領は、かつてノーベル平和賞の受賞演説で「戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにあった」と述べている。こうした戦争の捉え方にも再考を迫る論文を先頃、山口、岡山両大などの共同研究グループが発表した。縄文時代には暴力で殺された人が少なく、「戦争が人間の本能とは限らない」とする研究について、筆頭著者である山口大国際総合科学部の中尾央助教(34)に聞いた。(聞き手は論説委員・石丸賢、写真・天畠智則)
―縄文人の骨を調べたんだそうですね。
暴力による死亡率がどれほどか、石の矢尻やおので傷つけられた人骨の割合を調べました。対象にすべき縄文遺跡は、共同研究者の一人で考古学者の岡山大大学院教授松本直子さんが絞り込んでくれました。広島県神石高原町の帝釈穴神岩陰遺跡や笠岡市の津雲貝塚をはじめ、全国242カ所の遺跡の調査報告書では、出土した大人の人骨1275点のうち傷ついたものは23点にすぎません。率にして、わずか1・8%でした。
―「わずか」というのは、海外との比較ですか。
そうです。「戦争は人間の本能である」と主張する米国の研究者によると、縄文時代と同じ狩猟採集民時代の欧米やアフリカの遺跡で、受傷人骨の割合は12~15%に上ります。
―随分違いますね。ただ、縄文人が戦争をしなかったとする見方は、考古学者の故佐原真さんの本にも出てきますね。
その通りです。縄文時代が平和的だったという説は、日本ではむしろ「常識」といえます。
―日本と世界との常識に、差があるわけですか。
ええ、残念ながら。長年蓄積されてきた考古学の研究成果が、国際的な議論にはほとんど反映されていません。
―英語での論文発表が少ないのでしょうか。
世界に発信する習慣がなかったといえるでしょう。しかし、「人間はいつから、なぜ戦争を始めたのか」という問題は国際的なテーマです。日本の先史時代もぜひ、考察の対象に加えてもらわなければとの思いが、共同研究に至る発端です。
―なぜ、それを哲学者の中尾さんが呼び掛けたのですか。
哲学者だから、です。あのニュートンも「自然哲学者」であって、物理学者と呼ぶのは後の世の区分けです。もっと言えば、どの科学もベースは哲学であり、「世界とは何か」「人間とは何か」といった問いを抱えているはずなんです。
―いま、取り上げる必要は何かあったんですか。
かつては洋の東西を問わず、「狩猟採集民時代は平和だった」とする学説の方が主流でした。それが近年、「戦争は本能である」式の議論が、欧米の人類学者や経済学者の間で強まってきたのも理由です。
―時代背景があるんですか。対テロ戦争の正当化とか。
いいえ。むしろ、海外の遺跡で殺傷された人骨の出土が目立ち始めたからかもしれません。ことし1月にも、人類最古の「戦争」の痕跡がケニアで1万年前の遺跡で見つかったと、ニュースが伝わりました。
―論文は、海外の関心を集めているようですね。
英国の王立協会が出している生物科学の専門誌「バイオロジー・レターズ」に先月、掲載されました。それを受け、科学誌「ネイチャー」の最新号でも論旨が紹介されました。読んだ海外の人からは「日本人って、違うんだね」といった声も聞こえます。ですが、これは意外というか、残念な反応で。
―どうしてでしょう。
私たちの研究は、あくまでも、戦争は本能か―といった万国普遍の問題を考えるために投げかけた一石です。日本の特殊性を際立たせるのが趣旨ではないからです。
―オバマ大統領の戦争観にも「本能」説がうかがえます。
海外の研究者も「オバマが言っているよね」と話題に持ち出します。とはいえ、「本能」だからと悲観せず、戦争に至る要因を突き詰め、平和共存の道を粘り強く探る。それは政治家のみならず、科学者の務めでもあると考えています。
なかお・ひさし
奈良県桜井市生まれ。京都大文学部卒業後、10年に京都大大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。専攻は科学哲学。日本学術振興会特別研究員、総合研究大学院大学の助教などを経て15年4月から現職。著書に「人間進化の科学哲学」。山口市在住。
(2016年4月27日朝刊掲載)
広島を訪問する見通しとなったオバマ米大統領は、かつてノーベル平和賞の受賞演説で「戦争はどのような形であれ、昔から人類とともにあった」と述べている。こうした戦争の捉え方にも再考を迫る論文を先頃、山口、岡山両大などの共同研究グループが発表した。縄文時代には暴力で殺された人が少なく、「戦争が人間の本能とは限らない」とする研究について、筆頭著者である山口大国際総合科学部の中尾央助教(34)に聞いた。(聞き手は論説委員・石丸賢、写真・天畠智則)
―縄文人の骨を調べたんだそうですね。
暴力による死亡率がどれほどか、石の矢尻やおので傷つけられた人骨の割合を調べました。対象にすべき縄文遺跡は、共同研究者の一人で考古学者の岡山大大学院教授松本直子さんが絞り込んでくれました。広島県神石高原町の帝釈穴神岩陰遺跡や笠岡市の津雲貝塚をはじめ、全国242カ所の遺跡の調査報告書では、出土した大人の人骨1275点のうち傷ついたものは23点にすぎません。率にして、わずか1・8%でした。
―「わずか」というのは、海外との比較ですか。
そうです。「戦争は人間の本能である」と主張する米国の研究者によると、縄文時代と同じ狩猟採集民時代の欧米やアフリカの遺跡で、受傷人骨の割合は12~15%に上ります。
―随分違いますね。ただ、縄文人が戦争をしなかったとする見方は、考古学者の故佐原真さんの本にも出てきますね。
その通りです。縄文時代が平和的だったという説は、日本ではむしろ「常識」といえます。
―日本と世界との常識に、差があるわけですか。
ええ、残念ながら。長年蓄積されてきた考古学の研究成果が、国際的な議論にはほとんど反映されていません。
―英語での論文発表が少ないのでしょうか。
世界に発信する習慣がなかったといえるでしょう。しかし、「人間はいつから、なぜ戦争を始めたのか」という問題は国際的なテーマです。日本の先史時代もぜひ、考察の対象に加えてもらわなければとの思いが、共同研究に至る発端です。
―なぜ、それを哲学者の中尾さんが呼び掛けたのですか。
哲学者だから、です。あのニュートンも「自然哲学者」であって、物理学者と呼ぶのは後の世の区分けです。もっと言えば、どの科学もベースは哲学であり、「世界とは何か」「人間とは何か」といった問いを抱えているはずなんです。
―いま、取り上げる必要は何かあったんですか。
かつては洋の東西を問わず、「狩猟採集民時代は平和だった」とする学説の方が主流でした。それが近年、「戦争は本能である」式の議論が、欧米の人類学者や経済学者の間で強まってきたのも理由です。
―時代背景があるんですか。対テロ戦争の正当化とか。
いいえ。むしろ、海外の遺跡で殺傷された人骨の出土が目立ち始めたからかもしれません。ことし1月にも、人類最古の「戦争」の痕跡がケニアで1万年前の遺跡で見つかったと、ニュースが伝わりました。
―論文は、海外の関心を集めているようですね。
英国の王立協会が出している生物科学の専門誌「バイオロジー・レターズ」に先月、掲載されました。それを受け、科学誌「ネイチャー」の最新号でも論旨が紹介されました。読んだ海外の人からは「日本人って、違うんだね」といった声も聞こえます。ですが、これは意外というか、残念な反応で。
―どうしてでしょう。
私たちの研究は、あくまでも、戦争は本能か―といった万国普遍の問題を考えるために投げかけた一石です。日本の特殊性を際立たせるのが趣旨ではないからです。
―オバマ大統領の戦争観にも「本能」説がうかがえます。
海外の研究者も「オバマが言っているよね」と話題に持ち出します。とはいえ、「本能」だからと悲観せず、戦争に至る要因を突き詰め、平和共存の道を粘り強く探る。それは政治家のみならず、科学者の務めでもあると考えています。
なかお・ひさし
奈良県桜井市生まれ。京都大文学部卒業後、10年に京都大大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。専攻は科学哲学。日本学術振興会特別研究員、総合研究大学院大学の助教などを経て15年4月から現職。著書に「人間進化の科学哲学」。山口市在住。
(2016年4月27日朝刊掲載)