×

連載・特集

緑地帯 フィリピンと加納莞蕾 加納佳世子 <1>

 2016年2月29日は、フィリピン第6代大統領エルピディオ・キリノ(1890~1956年)の没後60年の日。キリノがマニラの英雄墓地に移転埋葬される日だった。国家的英雄としてたたえられることになったのである。

 彼の大統領としての業績は、戦後の経済復興、公立学校や教員の拡充、巧みな外交政策などに加え、ロシア難民の受け入れなど人道的な面でも大きいとされる。

 日本との関係でいえば、1953年、日本人戦犯に恩赦を与えたことがよく知られている。第2次世界大戦時のフィリピンでの戦禍の犠牲者は、多い。キリノ自身も妻と3人の子どもの命を日本兵に奪われている。しかし戦後、大統領としての彼の決断は「赦(ゆる)し」であった。

 その決断の4年前から、何通もの嘆願書を日本からキリノへ送り続けていたのが私の父、加納辰夫(雅号は莞蕾)である。父は嘆願書で、「赦し難きを赦す」意義、「目には目を」では平和は訪れないことを繰り返し訴えた。

 私はキリノの遺族らがつくる財団から招待を受け、英雄墓地移転の記念式典のパレードの中にいた。沿道には多くの市民が並び、キリノへの祝福でいっぱいの光景であった。

 私は父の遺影を抱えて参列していた。「お父さんの信じていたキリノは、やはり素晴らしい人でしたよ」。涙が頬を伝った。晴れた空を飛ぶヘリコプターから祝福の花びらが舞っていた。(かのう・かよこ 加納美術館名誉館長=安来市)

(2016年4月27日朝刊掲載)

年別アーカイブ