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連載・特集

緑地帯 フィリピンと加納莞蕾 加納佳世子 <3>

 朝鮮に渡った加納莞蕾は、現在のソウルで仲間と画業に励んだ。そんな中の1937(昭和12)年11月、中国に派遣される陸軍嘱託従軍画家の命を受ける。

 従軍画家といっても絵を描くばかりではない。現地の民衆の心理や、戦地での兵士の心理を研究する任務も与えられていた。今では確かめようもないが、数多く絵も描いたようだ。

 従軍時代の絵が1点だけ、東京国立近代美術館に収蔵されている。「山西省潼関(どうかん)付近の追撃戦」である。この絵は戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されて米国に渡った153点の1点で、70年に無期限貸与という形で日本に返還された。

 敵を倒しながら進軍する兵士たち。足元には息絶えた中国兵が見えるが、日本兵も負傷している。白い布にくるんだ遺骨を首に下げ、手を振り上げている兵士も。彼は何を言おうとしているのだろう。手前の兵士が上げた手の先には、ハトが見える。

 莞蕾は「ヒューマニズムを外れた絵は描いていない」と家族に語っている。戦後、フィリピンの大統領らに戦犯恩赦を求めた嘆願活動につながる平和ヘの思い、魂の叫びが、この絵からも読み取れるような気がする。

 朝鮮に戻って海軍人事部で迎えた終戦の日のことを、莞蕾はこう振り返っている。「屋上に掲げていた軍艦旗を、皆で降ろして焼いたんだ。焼いた旗に敬礼し、心に誓った。再びこの旗を翻すことなかれ、と。武器を拒否する大思想が日本国民の手によってつくられなきゃならん、と」(加納美術館名誉館長=安来市)

(2016年4月29日朝刊掲載)

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