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社説・コラム

『論』 戦時徴用船と安保 歴史の教訓を忘れるな

■論説副主幹・岩崎誠

 瀬戸内海に浮かぶ広島県の大崎上島で語り継がれる、戦時下の逸話を取材したことがある。

 海運や造船をなりわいとしてきた島。戦局の悪化とともに多くの船が乗組員ごと問答無用で陸軍に徴用され、船に乗っていなくても操船の免許を持つだけで「船員」として戦地へ送られた。島ぐるみで戦時体制に協力せざるを得なかった時代の重い空気を思う。

 戦地で命を落としたのは陸海軍の将兵だけではない。船会社の持つ旅客船や貨物船、さらに木造の機帆船や漁船。あらゆる船が物資や兵員を運ぶ「後方支援」に動員され、犠牲者は戦後に判明しただけで6万人を超える。14歳や15歳の少年の徴用も少なくなかった。

 こうした実態にもっと目を向けるべきだ。神戸港近くにある「戦没した船と海員の資料館」に初めて足を運び、思いを強くした。

 海のもくずと消えた民間船の写真が壁を埋め尽くす資料館を、全日本海員組合が開設したのは2000年である。訪ねようと思い立ったのは海員組合がことし1月に出した抗議声明がきっかけだ。

 防衛省が民間船を活用して有事などの輸送力を補うとともに現場で動かす船員を海上自衛隊の「予備自衛官補」にする―。その方針に組合を挙げて異を唱えたのだ。先人の犠牲を忘れた事実上の「徴用」の復活につながる、と。

 1999年施行の周辺事態法で民間の後方支援が明示された際にも、海員組合は同じ訴えをした。より具体的に民間船の有事活用が前に進んだことに、当事者として懸念を強めるのは当然だろう。

 安全保障関連法とも軌を一にするかのような防衛省の動きは、船員のみならず日本全体にとって重い意味を持つのではないか。

 一つは専門技能を持つ民間人を自衛隊に組み込む流れの強化である。予備自衛官補の制度は2002年に陸上自衛隊から導入した。自衛隊の未経験者も応募できるのが最大の特徴であり、一定期間の訓練を経て、いざというときの招集義務を負う予備自衛官になる。専門職種では「語学」「医療」などの分野から採用されてきたが、今度は操船のプロが加わる。

 背景には海自の人員不足に加えて、中国を念頭に置いた南西諸島地域の防衛で輸送力が足りないという認識があるのは間違いない。まず民間のフェリーを動かせる21人分の採用枠が予算化された。

 ただ有事への動員を意識して船員になった人がいようか。防衛省は「予備自衛官補への応募は強制ではない」と説明するが、海員組合の見方は違う。生活のため応じざるを得ない場合もあるし、操船はチームプレーだけに1人だけ断れない場面も生じうるという。

 さらに船員の予備自衛官化が加速すれば、全体の空気の中で個々の意思がますます通りにくくなることは確かに想像に難くない。

 もう一つの問題は後方支援のリスクをどう考えるかだ。民間船の活用を巡り、安倍晋三首相は「安全の確保が大前提」と国会で答弁した。とはいえ安保法による自衛隊の活動範囲拡大を想定すれば、有事での運用は攻撃される危険が増えると考える方が自然だろう。

 熊本地震では陸上自衛隊員らを乗せた民間貨客船が被災地の港に着き、支援活動を始めた。緊急時に優先使用できるよう、防衛省が所有者の「特別目的会社」と契約を結んだばかりの1隻であり、民間船活用の新たな一歩となった。むろん災害支援に役立つこと自体は喜ばしい。ただ「本丸」のはずの有事運用に関する本質的な議論をあいまいにしてはならない。

 先の資料館で徴用船の追跡調査をこつこつ続ける研究員の大井田孝さん(73)は指摘する。「当時から裸同然の徴用船を守る意識が日本にはなかった。後方支援の軽視にほかならない」。現代日本の状況とあの戦争を重ね合わせれば、同じ構図が見えてくるという。

 徴用船の歴史をさらに深く掘り起こす必要がある。例えば犠牲者の数である。データベースづくりを進める大井田さんによれば千人単位で埋もれている可能性もあるが、個人情報の壁もあって調査は手詰まりのようだ。この際、国の手で全容を明らかにすべきではないか。その上で過去の重い教訓を十二分に踏まえてもらいたい。

(2016年5月4日朝刊掲載)

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