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連載・特集

緑地帯 フィリピンと加納莞蕾 加納佳世子 <7>

 フィリピンのキリノ大統領の決断で、日本人戦犯に対する恩赦が実現した翌年の1954年、加納莞蕾は島根県布部村(現安来市広瀬町布部)の村長に選ばれる。57年まで務めた。

 異色の村長ではあった。自らが恩赦の嘆願活動に込め、そしてキリノから受け取った平和への思い、追求すべきモラルを、戦後民主主義の歩みを進める村の在り方にも生かそうとした。

 世界児童憲章の制定促進だけでなく、国際平和のために「世界連邦」の実現を目指す運動にも関わった。54年11月、広島であった第2回世界連邦アジア会議に、村を代表して3人で出席している。

 原水爆禁止運動への熱意にもただならぬものがあった。55年8月、広島で開かれた第1回原水禁世界大会に村議らを連れて参加。運動のリーダーだった広島大の森滝市郎教授と親交を結んだ。

 56年8月には、人口3千人余りの小さな村から「布部村平和五宣言」を村議会の決議として発信する。自治の徹底、国際親善、世界連邦の一員としての自覚、原水爆禁止、そして世界児童憲章の制定促進を訴えた。

 宣言に付した莞蕾の文には「いかに小さい農山村といえども国際的なつながりを持っている。それは単なる観念上の問題ではなくなっている」「今はわが村の在り方は特殊かもしれない。しかし、やがてきわめて普通のことになるだろう」とある。

 「平和をつくるには、過去について厳しい反省を持ち、反省に基づいて行動で実証することだ」。莞蕾は繰り返し、そう訴えた。(加納美術館名誉館長=安来市)

(2016年5月5日朝刊掲載)

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