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連載・特集

緑地帯 フィリピンと加納莞蕾 加納佳世子 <8>

 「第2次世界大戦後の厳しい年月において、貴女の尊敬される父上と私どもの祖父が交わした友好関係をもう一度温め直せることを楽しみにしています」

 2015年10月、フィリピンのキリノ元大統領の孫ルビーさんから私宛てに届いた「キリノ生誕125周年式典」の招待状である。戦後70年を機に加納莞蕾のドキュメンタリーを制作中の山陰のテレビ局がルビーさんを取材したのがきっかけであった。

 莞蕾の嘆願書を読んだルビーさんは「キリノがなぜ日本人戦犯の赦免をしたのか。この人の影響を受けたに違いないと確信します」とも伝えてきてくれた。

 翌月、私は初めてフィリピンを訪問することとなった。幼い頃からキリノ大統領、古瀬少将、アフリカ公使などの言葉を耳にしながら大きくなった私は、懐かしい気持ちでマニラの地を踏んだ。キリノファミリーの皆さんは大歓迎してくださった。

 2度目の招待を受けたのは今年2月。キリノの遺骨がフィリピンの英雄墓地に移転埋葬される式典であった。多くの人々の祝福の中で、私の手元の莞蕾の遺影もほほ笑んでいるようであった。

 私たちはこれからいっそう、日比友好を深める努力をしていきたいと思う。キリノファミリーが元大統領を顕彰するように、私も父のことを誇りに思っている。

 莞蕾の作品や資料も収める安来市加納美術館が、キリノと莞蕾の平和への思いを未来につなぐ美術館として親しまれる存在になれば幸いである。(加納美術館名誉館長=安来市)=おわり

(2016年5月6日朝刊掲載)

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