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連載・特集

緊急連載 オバマ氏広島へ <上> 被爆者の思い

待ちわびた決断 プラハ演説が契機に

 「よくぞ決断してくれた。自分が生きている間に来ることはないと思っていた」

 オバマ米大統領の広島訪問決定の一報が流れた10日夜。広島県被団協理事長の坪井直さん(91)は、広島市西区の自宅に詰め掛けた報道陣に興奮気味に語った。

 2009年1月、オバマ氏の米大統領就任に合わせ、二つの県被団協を含む広島の被爆者7団体で訪問を求める共同書簡をホワイトハウスに届けた。それから7年4カ月。オバマ氏の広島訪問発表は待ちわびた「返事」だった。

「恨み、怒った」

 08年の大統領選で「核兵器のない世界の追求」を公約に掲げたオバマ氏。ストックホルム国際平和研究所によると、米国の核兵器保有数は15年1月時点で約7千発に上る。今も巨大な核戦力を持つ米軍の最高司令官である大統領。その大統領が直接、被爆の実態を見聞きし廃絶に向けた行動に移してほしい、との願いは被爆者たちに強い。

 戦後、歴代の米大統領はソ連との冷戦下、核実験を重ね、質量とも増強した。広島の被爆者たちは、核実験のたび平和記念公園(中区)の原爆慰霊碑前に座り込み、抗議を続けてきた。被爆者運動にとって、米大統領は抗議すべき最たる存在だった。

 それだけにオバマ氏が09年4月、原爆投下国として廃絶に向けて行動する米国の「道義的責任」を語ったプラハ演説は坪井さんの心に響いた。「容赦なく体を焼かれ、米国を『いつか見とれ』と恨み、怒った。その国の大統領に拍手喝采の思いを抱く日が来るとは」

 「まどうてくれ(元通りにしてくれ)」。被爆者援護の根幹を築いた日本被団協初代事務局長、藤居平一さん(1915~96年)が生前、よく使っていた言葉だ。日本被団協は84年に発表した運動の大方針でも、原爆投下を人道に反すると認めた上での「謝罪」と「廃絶への主導的な役割」を米国に求めた。

覚悟を持って

 オバマ氏の歓迎ムードが広がる被爆地広島。しかし、「まどうてくれ」との声は決して消えていない。

 「罪のない市民が生きる権利と尊厳を奪われた。非人道性を正面から語らず保有国の主張に終われば、慰霊碑に眠る人たちは一層、無念の思いを募らせるだろう」。安佐南区の被爆者、八木義彦さん(82)はそう話す。

 原爆に遭った父、きょうだいの家族5人の遺骨は見つかっていない。平和記念公園にある原爆供養塔に、その5人が眠ると信じてきた。供養塔には名前が分からず、引き取り手のない約7万人分の遺骨が安置されている。

 「生きている被爆者や市民だけでなく、おびただしい原爆犠牲者も、落とした国の大統領の言葉を聞く。相当の覚悟を持って広島に来て、廃絶の決意を語るべきだ」(水川恭輔)

    ◇

 45年8月6日、世界で初めて市民の頭上に原爆を落とし、今も核超大国である米国。現職大統領としてオバマ氏が初めて被爆地広島に立つ意義や意味を探る。

(2016年5月11日朝刊掲載)

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