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社説・コラム

『言』 緊急事態条項 ナチスの教訓 今なお苦い

◆ドイツ近現代史研究者・田村栄子さん

 参院選を前に、憲法に「緊急事態条項」を盛り込む是非が焦点に浮上している。自民党が草案に盛り込んでいる内容で、テロや災害などの際に国民の安全を守るために役立つとされる。しかし歴史的には国家統制の根拠として働き、ナチス台頭を招いた苦い教訓もある。その点をどう考えるべきなのか。広島市在住で、ドイツ近現代史に詳しい佐賀大元教授の田村栄子さん(74)に聞いた。(聞き手は論説委員・東海右佐衛門直柄、写真・福井宏史)

  ―緊急事態条項を巡り、賛否が分かれています。
 私たちの周りにはいろいろな不安があります。北朝鮮の核開発は進み、過激派組織「イスラム国」(IS)によるテロの脅威も広がる。南海トラフ巨大地震などの大規模災害が、いつ起きるともしれない。そうなると「国民の安全を守るために緊急事態条項が必要」という主張に流されがちになります。今こそ、この条項がはらむ危険性をしっかり見据えておかなければならないと思うのです。

  ―ドイツの歴史に、何を学ぶべきだというのですか。
 ナチス台頭の背景には、緊急事態条項が深く関わっていました。クーデターや暴力で権力を握ったのではないのです。ヒトラーが首相に就任する直前の選挙ではナチスの得票率は約33%と過半数に及ばず、政権基盤も脆弱(ぜいじゃく)でした。ヒトラーは他党の党首からばかにされてもいました。ではなぜ独裁体制を築くことができたのか。ヒトラーが、ワイマール憲法48条にある国家緊急権(大統領緊急令)の規定を利用したからです。公共の安全や秩序に障害が生じる恐れがあるとき、人身の自由などが制限されるという内容でした。

  ―具体的には、どのように利用されたのですか。
 1933年2月、ドイツの国会議事堂が何者かに放火される事件がありました。ヒトラーはこれを共産党による犯行と断定し、国家緊急権によって共産党員を次々と逮捕したのです。言論、報道、集会の自由なども制限し、プロイセン州だけで7千人以上が拘束されたとされています。さらにヒトラーは全権委任法を強行採決し、政府がどんな法律でも作れるようにした。こうしてヒトラーが首相になって半年で、世界一民主的とされていたワイマール憲法は骨抜きになったのです。

  ―ナチスが利用した国家緊急権と、自民党の草案を同列に論じていいものでしょうか。
 この草案は大規模な自然災害などのほか内乱でも、緊急事態を宣言できるとしています。拡大解釈されれば将来、政治的なデモやストライキも対象となるかもしれない。報道や知る権利が規制される恐れもあります。全権委任法に近い考えも盛り込まれているので、独裁政治を生みやすい内容です。こうしたことが国民に広く知らされていないのは問題です。

  ―憲法に緊急事態条項を盛り込む国も多いのでは。
 例えばドイツでは戦前に国家緊急権が乱用されたことから、議会に強い権限を持たせ、司法のチェックも働くようにしているんです。フランスでも国際協約が脅かされた場合など発動するには極めて高いハードルがあります。明治憲法下の日本で国民の権利を制限して軍国主義が進んだ教訓も踏まえ、政治が暴走しないようしっかりした歯止めが要ると考えています。

  ―独裁政治と聞いても、現代の日本人はなかなか実感できないかもしれません。
 私も、今すぐ危機が差し迫っているとは思いません。しかし将来、そうした政治を招く危険性があります。そして一度、独裁体制が築かれれば、戻れないのです。「お試し改憲」とも言われ、憲法に関して気軽なムードも広がっています。しかし災害やテロなどを理由にすれば国民の理解は得られると政治家が考えるのは非常に危険です。

 反ナチス運動をしたニーメラー牧師の有名な詩があります。「共産党員が迫害された。党員でないから私は黙っていた。次に社会主義者が迫害された。私はまた黙っていた。最後に私が迫害された。私を守ってくれる人は残っていなかった」という内容です。今は日本の分岐点。ドイツの過去の教訓にもっと真剣に学ぶべきだと思うのです。

たむら・えいこ
 大阪府東大阪市生まれ。広島大大学院博士後期課程単位取得退学、同志社大で博士号(文化史学)。静岡英和女学院短大教授などを経て、98年佐賀大文化教育学部教授。07年退職。著書に「若き教養市民層とナチズム」、共著に「ヴァイマル共和国の光芒」など。

(2016年5月11日朝刊掲載)

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