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社説・コラム

天風録 「足跡の残るゲタ」

 原爆資料館の一角に、小さなげたがある。熱線を浴び、持ち主の少女の足跡がうっすら残る。原爆投下から2カ月、母親が焦土の街を歩き、娘を捜すうちに爆心地近くの瓦の下で見つけた▲自分の着物をほどいて作ったかすりの鼻緒に見覚えがあった。「どんなに熱かったじゃろう」と母は泣き崩れたという。結局遺体は見つからぬままで戦後、資料館に託した。いとし子を失った親の心を伝えてほしいと▲オバマ米大統領の広島訪問が発表され、資料館の見学も検討されている。一夜明け、何をどう見るのか思いを巡らせながら館内を歩いた。小さなげたはさほど目立たない。大統領は足を止めることがないかもしれない▲しかし約2万点にも上る資料館の収蔵品の一つ一つに遺族らの慟哭(どうこく)と祈りが宿っている。先月、来館したケリー国務長官は予定の時間を20分超えた。オバマ氏も時間が許すなら全ての遺品の前でじっと立ち止まり、失われた人生に向き合ってほしい▲その無念を本当に感じ取るのなら、核兵器をなくすしかないと思い至るはずだ。被爆地訪問は未来へつなぐステップでしかない。国際社会を動かしてこそ、オバマ氏の足跡は歴史に刻まれるだろう。

(2016年5月12日朝刊掲載)

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