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連載・特集

広島での発言 世界が注目 オバマ米大統領 広島訪問 核軍縮の停滞に危機感

 日米両政府は、オバマ米大統領が27日に被爆地広島を訪問すると正式発表した。原爆を投下した米国からは、大統領経験者が退任後や就任前に訪れたが、現職では初めてになる。オバマ氏は2009年4月にチェコ・プラハで演説し、「核兵器なき世界」への行動を宣言。国際的な機運を高め、その年のノーベル平和賞受賞につながった。ただ当初の勢いは、政権支持率の低下と軌を一にするようにそがれ、米主導の核軍縮には手詰まり感が漂う。来年1月の退任が迫る中、自ら掲げた理念を一歩でも前に進めることができるか。被爆地での言動が注目される。(岡田浩平、和多正憲、水川恭輔)

 「核兵器のない世界を追求し、具体的な措置を取る。核兵器が世界に存在する限り米国の抑止力は維持するが、究極的には核兵器廃絶が米国をより安全にする」

 オバマ氏が大統領選に初挑戦した2008年8月。民主党大会で採択された、選挙公約である党綱領にはこう盛り込まれた。

 「チェンジ(変革)」を掲げて旋風を起こし、09年1月、第44代大統領に就任。4月のプラハ演説は公約の延長線上にあり、核兵器を使った唯一の保有国として行動する「道義的責任」に触れた。ノルウェーのノーベル賞委員会はオバマ氏のその構想と努力を評価。就任1年に満たなかったオバマ氏へ、期待を込めた授与と言えた。

 任期序盤は、核軍縮を巡る課題で矢継ぎ早に動いた。10年4月、「核体制の見直し(NPR)」で核拡散防止条約(NPT)を順守する非保有国には核兵器による報復的攻撃をしないと初めて明記。戦略上の核兵器の役割を減らす姿勢を示した。

 同月には、ロシアとの間で、配備済み戦略核弾頭を1550発以下に減らす新戦略兵器削減条約(新START)に調印。5月のNPT再検討会議では最終文書を全会一致で採択。核兵器の非人道性や禁止条約に言及した。

 期待が高かっただけに、その後の失速に失望感は否めない。13年6月、ドイツ・ベルリンで配備済み戦略核弾頭を千発水準まで減らす用意があると発言し、ロシアにさらなる追加削減を迫った。しかし、ロシアとはウクライナ情勢を巡ってきしみ、交渉に進展はみられない。

 国内では求心力が落ち、1期目の「選挙公約」にあった包括的核実験禁止条約(CTBT)批准は、まだできていない。

 核軍縮が停滞する中、オバマ氏は被爆地広島に足を踏み入れる。米国内に「原爆正当化論」が根強い中での決断には、核軍縮で事態の打開を狙う国際的なメッセージを打ち出したいとのオバマ氏の強い思いがうかがえる。

平和公園 各国要人が見学

カーター元大統領「壊滅的な惨禍 忘れてはならない」

 原爆を投下した米国の大統領が、在任中に被爆地広島を訪れた記録はこれまでない。原爆資料館(広島市中区)によると、大統領経験者では、退任後にカーター氏が、就任前にニクソン氏が訪れている。

 1977~81年に大統領を務めたカーター氏は84年5月25日、妻と長女と共に約40分かけて原爆資料館を見学した。芳名録には「この記念館は、全ての人々が平和とより良い理解に向けて努力することを、絶えることなく永遠に思い起こさせるものでなければならない」と書いた。

 さらに平和記念公園(同)では市民約千人を前に平和アピールを発表。「壊滅的な惨禍を思うと極めて厳粛な気持ちになる。この教訓は決して忘れてはならない」と演説。記者会見で「大統領を経験した者として、終生、平和と人権擁護のために働き続けることを誓う意味でヒロシマを訪れた」と訪問の動機を説明している。

 カーター氏の2代前で69~74年に大統領の座にあったニクソン氏。副大統領を退いた後の64年4月に旅行で広島に立ち寄った。原爆慰霊碑へ花輪を手向けた後「ヒロシマは一つの時代を終わらせ、平和への約束を持たせている町だ」と語った。

 海外の要人で現職として広島を訪れたのは、57年のインドのネール首相、70年の旧西ドイツのハイネマン大統領がいる。

 要人がメッセージを寄せる原爆資料館の芳名録は、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が81年2月に見学した時に作られた。縦約33センチ、横約28センチの1冊で、表紙には広島市の市章が刻まれている。普段は資料館地下の収蔵庫にある。これまでに各国の元首や皇族たち約200人が記帳し、ページの8割余りが埋まっているという。

 エリツィン元ロシア大統領は就任前、旧ソ連人民代議員時代の90年に来館。ゴルバチョフ元ソ連大統領は92年、ノーベル平和賞受賞者のワレサ元ポーランド大統領は2014年、いずれも退任後に広島に足跡を残した。

<米国と広島、核問題を巡る主な動き>

1945年 8月 米国が広島、長崎に原爆を投下
  54年 3月 米国のビキニ環礁での核実験で第五福竜丸が被曝(ひばく)
  62年10月 キューバ危機
  63年 8月 部分的核実験禁止条約(PTBT)に米ソ英が調印し大気圏          内核実験を停止
  70年 3月 核拡散防止条約(NPT)発効
  72年 5月 米ソが第1次戦略兵器制限条約(SALT)に調印
  87年12月 米ソが中距離核戦力(INF)廃棄条約に調印
  89年11月 ベルリンの壁崩壊
  91年 7月 米ソが第1次戦略兵器削減条約(START1)に調印
  95年 5月 NPTの無期限延長を再検討会議で決定
  96年 9月 包括的核実験禁止条約(CTBT)が国連総会で採択。未発          効
2000年 5月 NPT再検討会議で最終文書を全会一致で採択。「核兵器廃          絶への明確な約束」をうたう
  01年 9月 米中枢同時テロ
  08年 9月 広島市で主要国下院議長会議(議長サミット)。米国のペロ          シ下院議長が平和記念公園訪問
  09年 1月 オバマ氏が米大統領に就任▽二つの広島県被団協を含む被爆          者7団体がオバマ氏に広島訪問を共同書簡で要請
      4月 オバマ氏がチェコ・プラハで演説。原爆投下国として「核兵          器なき世界」に向け、努力する道義的責任に言及
      6月 広島市がオバマ氏の核兵器廃絶構想への国際世論の喚起を図          る「オバマジョリティー・キャンペーン」の開始を発表
     11月 オバマ氏が初来日。首相官邸での記者会見で被爆地訪問につ          いて「将来訪問するのは当然光栄で、非常に意義深い」
     12月 オバマ氏がノーベル平和賞受賞
  10年 1月 オバマ氏が全米市長会議の一行と共に面会した秋葉忠利・広          島市長の広島訪問の要請に対し、「行ってみたい」と返答
      4月 米国が「核体制の見直し(NPR)」を発表。NPT順守の          非核兵器保有国を核攻撃しないと明記▽米ロが「新STAR          T」に調印。7年以内に配備済み戦略核弾頭を各1550発          以下に削減▽米ワシントンでオバマ氏主導の初の「核安全保          障サミット」。以後4回開催
      5月 NPT再検討会議で最終文書を採択。核兵器の非人道性や核          兵器禁止条約にも言及
      8月 現職の駐日米大使として初めてルース氏が広島市の平和記念          式典に出席
      9月 オバマ政権で初の臨界前核実験
     11月 米国がZマシンで少量のプルトニウムを使った新たな核性能          実験
  12年11月 オバマ氏が米大統領に再選▽広島市の松井一実市長、長崎市          の田上富久市長がルース大使にオバマ氏の被爆地訪問を要請
  13年 6月 オバマ氏がドイツ・ベルリンで、配備済み戦略核弾頭を一層          削減し、千発水準に減らす用意があるなどと演説
     12月 松井市長と田上市長が前月に着任したケネディ駐日米大使に          オバマ氏の被爆地訪問を要請
  14年 4月 広島市で非核兵器保有12カ国による軍縮・不拡散イニシア          チブ(NPDI)の外相会合。ガテマラー米国務次官がゲス          ト参加
  15年 5月 NPT再検討会議が決裂
      7月 欧米などの6カ国とイランが、イラン核問題の外交解決へ向          け最終合意
      8月 ガテマラー国務次官とケネディ大使が平和記念式典に出席
     12月 松井市長と田上市長が主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)          に合わせたオバマ氏の被爆地訪問をケネディ大使に要請
  16年 2月 核軍縮に関する国連作業部会が初会合
      4月 広島市で伊勢志摩サミットに先立つ外相会合。ケリー米国務          長官が平和記念公園を訪れ、記者会見でオバマ氏に「(被爆          地)訪問がいかに大切か伝えたい」と表明

プラハ「核なき世界」演説(骨子) オバマ米大統領広島訪問

 ・何千もの核兵器は最も危険な冷戦の遺物だ。世界核戦争の脅威は減ったが、核攻撃の危険は増した。テロリストたちは核爆弾を買い取り、製造し、あるいは盗み取ろうと決意している。

 ・われわれはともに立ち上がらなくてはならない。核を持つ国として、そして核兵器を使用したことがある唯一の国として、米国には行動する道義的な責任がある。

 ・米国は核兵器なき世界の平和と安全保障を追求することを確信を持って宣言する。ゴールはおそらく、わたしが生きている間ではないだろう。しかし、「Yes we can(私たちにはできる)」。

 ・米国は核兵器のない世界に向けた具体的な措置を取る。冷戦思考に終止符を打つため、国家安全保障戦略における核兵器への依存度を下げ、他国にも同調を促す。ただ、これらの兵器が存在する限り、安全かつ効果的な兵器を維持して敵に対する抑止力を保ち、同盟国の防衛も保証する。

 ・包括的核実験禁止条約(CTBT)批准にまい進する。兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約の交渉開始を目指す。

 ・核拡散防止条約(NPT)体制を強化する。条約強化のため、いくつかの原則を受け入れなければならない。国際査察強化のために、より多くの資源と権限が必要だ。ルールを破る国は即時に現実的な報いを受ける必要がある。

 ・テロリストが絶対に核兵器を入手しないようにしなければならない。(核の)闇市場を解体しなければならない。

 ・核兵器のない世界と聞いて、達成が困難そうな目標を設定する価値があるのかといぶかしがる人もいる。しかし間違えてはならない。平和の追求をやめてしまえば、平和には永遠に手が届かなくなる。人類の運命はわれわれの手にある。より良き未来のために過去に敬意を表しよう。互いの相違を克服し、希望を信じ、世界を今よりも繁栄した平和なものとするための責任を引き受けよう。 (2009年4月5日、チェコ・プラハ)

(2016年5月12日朝刊掲載)

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