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社説・コラム

[被爆者からオバマ氏へ] 素直な思い発信して 玉川祐光さん=安芸高田市向原町

  ≪広島二中(現観音高)1年の時、爆心地から約2キロの広島駅前で被爆。安芸高田市の向原町原爆被害者友の会会長として毎夏、原爆死没者追悼式を開く≫
 大統領の肩書抜きにオバマ氏一個人として原爆慰霊碑に向き合い、そこで感じた素直な思いを大統領の職責として全世界へ発信してもらいたい。「75年間は草木も生えない」と言われたヒロシマを直視することが静かなる謝罪であり、訪問を政治利用すべきでない。

 当時、住んでいた賀茂郡西条町(現東広島市)から平和記念公園そばの本川左岸へ建物疎開作業のため向かう途中だった。乗っていた山陽線が空襲警報発令で遅れていなかったら現在の自分はない。顔と手をやけどし、1日かけて帰った。

 現在、本川左岸に立つ二中の慰霊碑には亡くなった多くの生徒や教職員たちの名前が刻まれている。一方で今なお身元が不明の犠牲者がいる現実もある。生きた証しさえも一瞬で奪う恐ろしさが原爆にはある。

 そんな憎しみを抱いた米国への見方が変わる出来事が1958年、製糖工場を建設するため商社の社員として訪れていた鹿児島県の沖永良部島であった。

 島内にあった米軍の電波探知基地関係者の車と正面衝突し、大腿(だいたい)骨を複雑骨折した。米軍は、占領下だった沖縄の基地へ、パスポートを持たない私をヘリコプターで搬送して手術してくれた。平和であれば国籍や人種を超えて人を思いやることができるのだ。(山成耕太)

(2016年5月17日朝刊掲載)

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